「プレゼント何が欲しい?」
顔を赤らめた琴子が、目を見開いて俺を見た。
「え…」
何か信じられないものでも見るような目つきで、二、三度ゆっくり瞬きをすると、唇に人差し指を当て、首をかしげて宙を見る。
夫婦として、いやそれ以前に好きあっているもの同士として、それほど奇怪な言葉を吐いたわけではないのに、俺が発するとは夢にも思わなかったようだ。
バカな奴。
「ほ、本当!?わーどうしよう、えっと」
握りこぶしをブンブンと振り、百面相を始めた。
「えーっと」
唇を尖らせ、眉をひそめて腕を組む。
ガウンから覗く鎖骨が、くぼみを更に深くする。
「……」
しばらくそのままで固まっていた琴子が、はっと顔を上げこぶしを振った。
「あっ、じゃあね、入江くんに…好きっていってほしーな、好きっ…て…」
琴子の言葉に、今度は俺が目を見張った。
言葉など幾らでも取り繕うことができるのだ。
心の中で正反対のことを考えていたとしても、うまく取り繕えば相手には伝わらずにすむ。
テクニックとしては簡単だ。
好意を伝えるには、相手の言葉に賛同し、相手を持ち上げる。いい気にさせれば相手の気持ちはもう手の中にある。
看護師長しかり、先輩医師しかり。
立場のある人間にいかに納得してもらうか。
俺は、まだまだ社会人としてはひよっこだが、人心掌握のスキルに関しては自負するところがある。
最近では特にうまく立ち回れるようになってきたと、余裕すら出てきたところだった。
勿論、俺だって反対に、口先だけで納得させられることも多いが。
そんなもんだ。
誠心誠意を込めた言葉なんてものは、口に出した途端に虚構になる。
「やっ、やっぱりいい!!今のナシね、他考える、えーっとえーっと」
ただ、今、この時、琴子にならば、俺の心を一寸違わず伝えられる気がした。
琴子を引き寄せ、唇をふさぐ。耳元で囁くと、「あたしも大好き」と涙声できゅっと腕を首に回して体を擦り寄せてくる。
シャワーを浴び、軽くアルコールも入っているせいか、琴子の体は汗で湿り、火照っているようだった。
琴子の肩に手を置く。
絡められた腕をゆっくり解くと、琴子の瞳が俺を映した。
化粧を落としているはずなのに、白く透き通った頬は恥ずかしそうに赤らんでいる。濡れたまつげに、赤く色づく唇。
「いりえ、くん」
声を出さず、唇の動きで俺を呼ぶ。
その赤に誘われて、俺は琴子をかき抱き、唇をふさいだ。
ついばむように触れる。
「口、少し開けて」
唇の奥、ちろりと見える舌に挑発されるように、斜めに割り込み、口内を舌で侵食していく。
上あご、舌の裏側、そして唇に丹念に触れる。琴子の口の中を、余すところなく味わう。
「んっ、ん」
琴子から漏れる声は、もはや声という形態を成していない。
「い…入江くん、でん…電気消して…」
鳥目の琴子は暗闇を嫌うが、ベッドに二人でいるときは、反対に明かりを嫌う。
「トイレ行きたくなったら、隣の入江くん起こせばいいんだもの!」
いつかの大雪の日にも、一つのベッドで一夜を過ごしたが、あの時とは違うもん、と笑う。
いつの日か、俺のぬくもりが誰かを安心させるのだ、と琴子が教えてくれた。
いつかの親父の病状と俺の進路について話した時、誰かのぬくもりが俺の心を静めてくれるのだと教えてくれたのもまた、琴子だった。
俺は琴子をベッドに横たわらせると、そのまま体重をかけ、琴子をすっぽりと覆い抱きしめた。
「いりえ、くん?」
「しばらく、このまま…いい?」
「ふふ、入江くん」
「なに」
「大好き」
「ばーか」
「でも重いよ」
「うるさい」
「ごめんね、でもね、あたし幸せ」
俺は琴子にうずめていた顔をあげると、端を上げて満足そうな唇をまた塞いだ。
了
2008年11月12日(12/31再up)
文庫本14巻、琴子誕生日デートの夜、の補完…でした。
どうしても入江誕生日が書きたかったんですけど、書き始めたら琴子の誕生日になっていた…。
怖い世の中ですね。
ちなみに仮タイトルは「ポンジュース」でした。その時飲んでたから!!!