ウインド・ブロウ01(サンプル)

 例年センター試験は大雪に見舞われるというのに、私の受験した年は馬鹿に晴れ渡っていた。前日下見に来た通りに、液を左に曲がり、二つ目の路地を右に行く。坂を上れば試験会場に到着する。
 私の記憶はそこで途切れる。次に目を覚ましたのは、見慣れぬ白い部屋で、母親が泣き顔で見下ろしていた。起き上がろうとして、ベッドに寝ていたことに気づく。無表情の白衣のおばさんに試験時間が終わったことをを告げられた。日はとっぷりと傾いていた。私は坂道で転び、気を失っていたらしい。母親の泣き声が部屋に響いていた。
 そして私は国公立大学をあきらめ、地元の私立大学に進学した。打撲のひどかった私はその後、医者にしばらくの安静を言い渡された。追試に向けての勉強も出来ない。悔しさはなかった。志望大学をあきらめ、私は地元の私立大学に自力で入学した。国公立・私立とも、初めから推薦ではなく一般受験をする心積もりでいた。私は曲がったことが大嫌いである。成績が優秀なのに推薦枠を勝ち取れなかったのも、自転車を盗もうとした男子を入院させるほど痛めつけたからである。かばってくれなかった担任を尻目に、世の中に正義などあるものかと思った。
 うまくいかないことなど世の中にはごまんとある。みっともなくすがりついて、泣き喚くのは好きではない。それになにより、地元の私立大学では私はトップクラスの成績を収めることが出来るだろうと考えていたから、首席で卒業するのも悪くはないと思った。いずれは外資企業に就職し、吟味して男を選び結婚し出産する。出産後も職場に復帰し、男にも一目置かれる女になりたい。私には明確な将来のビジョンがあった。
 母親は最後まで浪人を勧めてきた。今までの苦労は何になるの、と。だが安静を言い渡されたときに、既に私の中での道筋は出来ていたのである。それを曲げてまで浪人という選択肢を取ることは、私のアイデンティティを否定されるのと同じことだった。
 よく友人に、「あなたは一度決めたら考えを曲げない」だとか「切り替えが早すぎる」と言われる。私はそれにある種の誇りを抱いていたのだ。自分を曲げることは好きではない。
 何事も四隅をきっちりと整えた書類のように、整然と生きるのが私のモットーだった。それは高校時代の部活動でも同じことだった。トランペットを担当していた吹奏楽局が全国まであと一歩というところで敗退したとき、気の抜けたような局員たちを尻目に、私は単語帳を開いていた。局員たちは私をバケモノでも見るような目つきで見ていたが、現実問題、部活動で活路が途絶えれば受験勉強にシフトすることなどごく当たり前のことである。「感動」「悔しさ」「涙」という、いかにも青春とも言えるワンフレーズに乗っかるつもりはなかった。一人の局員に「あなたは冷たい」と言われた。冷静さを欠いたら、人としての尊厳をなくしたも同然である。
 私立開成学院大学は、自宅から電車で三十分の場所にある。合格発表からしばらくして、大学側から「新入生代表の挨拶」を頼まれた。どうやらやはり、私はトップで試験をパスしたらしい。式より三十分早く講堂に着き、式次第のリハーサルに参加する。滞りなく済ませて着席していると、続々と一般の同級生がやってきた。退屈なおじさんの挨拶が続く。風邪で欠席だという学長に代わり副学長が挨拶を終えた後が私の出番だ。司会の女性が再びマイクを握った。「新入生を代表して、英文学部の佐々木陽さんに入学の誓いを読んでいただきます──」

 

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スプリング・ハズ・カム(サンプル)

 私はある意味で考えることに長けていた。言い訳がましいとはまさに私のことを言うのではないかというほどに、次から次へと自己弁護の言葉が飛び出る。悪気はない。大きな損害をかけたこともない。だからといって見捨てられないという保証もないから、友人が減らなかったのは大きな私の財産である。気をつけようと思えば思うほどに嘘で塗り固められていく。他の誰でもない、自分のことである。私は特に気にもかけず、大人になれば消えてなくなるものだと思っていた。周囲に甘えきっていたのである。
懸命に励んだわけでもないのに成績だけは優秀なのが取り柄で、県内で一番の進学校に入学した。有名大学の合格者を多く出していて、県外からも人気の高い高校である。私はといえば、入学したその日に、周りの生徒が既に受験対策用の参考書を熟読していたことに驚愕した。のめりこむほどに勉強が好きではない。いや、好きで勉強をしているわけではないのだろう。しなければならないから、勉強をしているのだ。少々どころか、ここには居場所がないと思うほどに、学校選びを後悔した矢先、新入生一斉の学力テストがあった。全てマーク式のテストであった。高校に入れば、部活や放課後のひと時などを楽しめると思っていた私にとっては、この学校に絶望した以上、何の意味も価値もないテストであった。私はケシゴムに選択肢の数字を書き、問題も見ずにケシゴムの導くままに答案を埋めたのだが、返ってきた答案を見て恐れおののいた。全て偏差値が‘70を越えている。周りの生徒の嫉妬と羨望の眼差しを受けながら、私はひどく狼狽した。けして本気ではない、と主張してもとりあってもらえるどころか、謙遜するなど厭味であると言わんばかりに流される。かくして私は、新入生一の頭脳を持つ生徒として注目を浴びることとなった。

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テープレコーダーは、死なない(サンプル)

 夢を見た。
真黒の空間の中でおじいちゃんが言った。
「カセットテープレコーダーがわしの枕元にあるから使ってくれ」
手足が動かない中私は不思議に思った。なぜ今そんなことを言うのかと。
「なんで? おじいちゃんいつも使ってたじゃない。これからもおじいちゃんが使いなよ」
「わしは、もうすぐあの世に行く」
おじいちゃんの声が段々小さくなる。
「え? なに言ってるのおじいちゃん!」
「あのカセットテープレコーダーは三分しかもたんが、わしが初任給で買った大切なものなんじゃ。頼むぞ」

***

 揺さぶられて私は目を開けた。
空はまだ蒼く、起きるにはまだ早い。
「おじいちゃんが亡くなったから準備しなさい!」
せかすような母の声がした。


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ビート(サンプル)

「つまらない男」だと言い切られて、静かにドアを閉じられた。それから俺は不貞寝をした。彼女を幸せにしたいと固い職に就いた。教員には転勤は付きものだ。とかく若いうちは僻地に飛ばされることが多い。俺も多分にもれず、四年間住み慣れた下宿から引っ越すことになった。将来的には安定した家庭を築くことが出来るだろうが、今の俺には「ついてこい」などとは言えない。彼女は俺の一言を待っていたのであろう。何も言わない俺を見捨てて出て行った。
 これでいいのだと思う。彼女は華やかなショップやシャンデリアが揺らめくホテルのラウンジが好きだった。場にふさわしくないからと全身を揃えさせられたこともある。かわいらしいとも面倒くさいとも思っていたが、何度も続くと感覚が麻痺してうざったいとも思わなくなっていたのだから、幕引きを願っていたのはむしろ俺のほうだ。元々女など欲しくはなかったのだと言い聞かせて寝返りを打った。

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 真新しい制服を着て鏡を見ると、いつもの自分ではないような気がした。見慣れないせいだろうか、少し大人になったような気がする。
「スカートが長いかな」
 私はウエスト部分を折りたたんで、膝が出るまで長さを調節し鞄を手に取った。
 少子化の影響で、女子高や男子校は減り、共学化が進んでいるという。受験する前に確認をしたが、私の高校は古くからの歴史があり、卒業生の寄付などもあることから、しばらくは共学にならないということだった。合格したのは英米科で、多くの難関大学への合格者を輩出している。幼い頃から漠然と思い描いていた英語への夢を現実のものにしようと、狭き門をなんとか突破した。
「行ってくるよ」
 親の寝室に声をかけて家を出る。電車に二時間ゆられて同じ制服を着た生徒たちに押し出されるように校門をくぐると、外に立ち出迎えてくれている先生の中に、やけに若い男がいた。

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仕事は遊びだ!〜全ての就活生に捧ぐ〜<上><下>(サンプル)

 よく来たねぇ。まあ座っておくれよ。「あれ」にどうしてもって頼まれたから、取材っていうのかい? 受けてもいいと思ったけど、お前さん、随分と顔色が悪いじゃないかい。
 記者さんってのもご苦労さんだねぇ。
 そうかい、私でよければなんでもお話するけど、今の子たちの就職活動に役に立つのかね?
 そういうけどね、たいした半生でもないんだよ。
 思い出しながらでいいかい?
 まあ、婆のたわごとだ。役にもたたねぇと思うけど、暇つぶしにはもってこいかもしれないねぇ。
 就職活動ってのは、もう二度としたくないよ。
 今でも最初の会社の事ははっきりと覚えているんだ。

  ◆◆◆

「アナタさぁ、ナカガワさんだっけ?下の名前は?」
「申し訳ありません、業務には必要のないことですので……」
「そんなこと聞いてるんじゃなぇんだよ!なんて言うんだ、下の名前はよ!」
「……ユミコです」
「ユミコさんさぁ、俺がお金を返さないからってアンタに何の義理があるってんだ?あ?」

 私が生まれて初めて罵声を浴びたのは、コールセンターに就職をしてすぐのことだった。
「借りたものは返す」のは当たり前だと思っていたし、それが世の中の常識だと思っていたから、
丁寧な言葉で相手に伝えることさえ心がければそれが通じると思っていた。

 新卒の私は、コールセンターに配属が決まったとき、自慢の英語を生かすことができると有頂天だった。
全国からの電話がこのブースに繋がる。英語しか話せないお客様もいるからよろしく頼むと、
新人担当の先輩は私に期待をし、この場所に送り出してくれた。

 期待とは裏腹に、就職して二週間。
電話を取り続けては罵声を浴び、電話に向かって頭を下げる日々が続いている。

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タイトル未定イタキス本(サンプル)

 身体の中に違和感がある。入江くんの素肌に抱かれていたときは酔えていたけれど、夜明けとともに胸に迫るのは、切なさと喪失感だった。
 そ知らぬふりをして朝食を済ませ、慌しく飛行機に乗る。隣で眠る入江くんはいつもと変わらないはずなのに、湧き上がる寂しさにすがりつきそうになった。
 あれほど欲しいと願っていた入江くんの心が手に入ったとき、あたしは夢の中にいるような浮遊感があった。抱きしめられて口づけられても、どこか現実味がなく、それどころかあっという間に新婚旅行が終わろうとしている。
 自分のことを好きだという入江くんの気持ちに、何ひとつ疑いはない。きっと誰かには見せたことはあるのだろうけれど、これからはあたしにだけ見せてくれるのだと言い聞かせるような言葉や仕草は、あたしの心を満たすのに充分だった。
 満たされたはずなのに、あたしのどこかが欠けてしまった気がする。幸福感しかなかった昨夜を思い出すにつけ、失ったものが何なのか、あたし自身にもわからない。これから夜を繰り返すたびに、戻ってくるものなのか、それとも欠けたままなのか。二十年ばかりしか生きていない私には人生経験が足りないとしか言いようがない。
 目を瞑って入江くんに手を伸ばすと、身じろぎしながらきつく手を結ばれた。すがりつけば満たされると思っていたのに、今はこのぬくもりでさえ、あたしを不安にさせる。入江くんといるときは、時間が止まればいいのにといつも願っていた。でも今は、早く時が過ぎてしまえばいいのにと苦痛にも似た感情に支配されている。眠れやしないだろうけど、日本につくまでのしばしの間、あたしはずっと目を瞑っていた。


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タイトル未定シティーハンター本(サンプル)

「種族維持本能」とは、生きるか死ぬかの崖っぷちに立たされたときに、本能的に近くにいる異性を求め、子孫を残そうとする本能である──というのは、ミックと撩が立ち話をしている中で聞いた。

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当のあたしは、頭を強打した結果、記憶が混乱していて、ガラス越しのキスのことなどすっかり頭から抜け落ちていた。撩が気が抜けてしまったのもしょうがないと今なら思う。数え切れないほどの修羅場をくぐり抜けてきただろう男だけれど、あそこまで心が動いたのは初めてだったのかもしれないと思うのは、うぬぼれだろうか。やっと通じたのに、イチからやり直すのには、撩はきっと臆病なのだ。
 記憶がすっかりと戻った朝、あたしは撩の顔がまともに見られなかった。あの腕に、パートナーとしてではなく一人の女性として守られたいと願っていた。パートナーになってから、いや高校生の頃から、撩が好きだった。あたしの気持ちなんて、きっととっくに分かっていたと思うのに、それでも撩はあたしを拒否し続けた。遠ざけて、見ないふりをした。
死の覚悟を決めて海原の船に乗り込んだとはいえ、防弾ガラスでこちらと区切られて生死の分かれ目に立つ撩を見たときに、ひどく哀しく思った。今の撩を作り上げた境遇と、兄貴の命を奪ったエンジェルダストを作り上げ、撩まで殺そうとする海原のことを。そして撩の育ての親である海原に弾を撃ち込んだ撩を思うと、心が張り裂けそうだった。脱出する術がないと言い、ガラス越しに手を合わせて唇を重ねたときに、やっと気持ちが通じ合えたとお互いに思っていたのは間違いだったのか。

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