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Bless you 【中篇】

 琴子は、触りすぎて水分の飛んでいる、カラカラに乾いたおしぼりの端をぐっと握り締めた。

「あっ、あの!松本さん!!」

「なによ」

「あたし、今日お呼び立てしたのは……」

「?」

「……なんとなく?」

「はあ!?」

「いや、ちょっとまって、えーと、……松本さんとは、ライバルみたいなかんじだったじゃない?だから、入江くんと結婚するにあたって、なんとなく、お話がしたかった、というか……」

「……そうね。私も聞きたい話は沢山あるわ」

 松本はタイミングよく運ばれて来た飲み物やお皿を眺めると、箸袋から箸を取り出し、勢い良く二つに割った。

「とりあえず飲みましょ!」

「そ、そうね、では皆さま本日はお寒い中ぁ〜遠路遥々」

「おっさんの飲み会かよ。ったく」

「お、おっさん?よくふぐ吉に来るお客さんが言ってるんだけど」

「おっさんでもおばさんでもいいから早くして」

「まっ……松本さんまで」

「じゃ乾杯」

「入江くん!?」

「かんぱーい!」

「松本姉!?」

 納得できない琴子、早く飲んで食べたい松本、基本的にはどうでもいい直樹が、儀式的にコツンコツンと互いのグラスを合わせる。狭い個室に、カツンカツンと高く音が物悲しく響いた。松本はビールジョッキを両手で持ち、首を思いきり反らしてビールを一気に喉に流し込んでいく。空のジョッキを置くと、松本は深くため息をついた。

「松本姉、男らしいんだね。……別に意外じゃないけど」

「なによっ!!……ま、いいわ。で、入江くんはいつからこの子が好きだったの?」

 カリカリチーズを一口噛んだばかりの直樹が、激しく咳き込んだ。

「……松本、お前いきなり何言ってんだ」

「大丈夫よ。私はいつからか、入江くんを諦めてあげてたから」

 松本はにやりと笑うと、枝豆に手を伸ばした。

「さすが松本姉、失恋も上から目線なのね」

「相原さんには言われたくないわ。あなた、一生分の運を使い果たしたんじゃないの」

「なっ」

 直樹は松本をじっと見つめた後、ジョッキから手を離しシャツの胸ポケットから煙草を出した。

「いい?……あ、ねえや。切らしてる」

「あ、ごめんなさい。最近タバコの匂いがダメなの」

「入江くん、タバコ、来週の披露宴で吸わないでよ」

「……限界を突破したら吸うかもな」

「限界?あたしと入江くん、晴れの日なんだから!ちょっとの間だよ!楽しもうよ!楽しいよ!」

「どうだか」

 直樹は、テーブルに置かれていた財布とライターを片手でわしづかみにし、傍らに丸めてあったジャケットを手にとった。

「じゃあ、買いに出て外で吸うわ。ごゆっくり」


 直樹の気配が消えると、琴子は深いため息をついた。

「相原さん?」

「うーん、最近、入江くん沢山タバコを吸うんだよね。背広にも、タバコの匂いが染み込んじゃってて」

「それでストレスを解消しようとしてるんじゃないの?」

「そうなのかなー。ねえねえ、松本姉は、どうやってストレスを発散するの?……ストレスなさそうだけど」

「まっ!失礼ね!私だってストレスくらいあるわよ」

「ふぅん、なんでもできちゃうから、どんなことがあってもへっちゃらだと思ってた」

 松本は注文ボタンを押し、ビールのピッチャーを頼むと、サラダを口にし、少し笑った。

「私は、さらに考え込むわね。ストレスに感じているということは、その原因があるわけでしょ。その原因を突き詰めるのよ」

「ふうん……」

「言葉にすると大袈裟だけど、そうねえ、好きになったら悩んでも告白するでしょ?猪突猛進の相原さんなら特に」

「なっ」

「思いを伝えたら、それが例え叶わなくても、すっきりするでしょう?」

「あ、それはある、あった、かも」

「ま、私は恋愛以外にもやることはたーっくさんあるし、ちょっとの間深く悩んで、あとは忘れるのよ。それが一番」

「あたしはね」

 枝豆に手を伸ばして琴子が続ける。

「我慢できないくらい辛くなったら、とにかく泣くの」

「一人で?」

「うん。あ、枝豆美味し…。でも泣いても余計辛くなるだけであんまり解決しないなあ。いつのまにか、そう、ナイスアイディアが降ってくるのよ!」

「他力ねえ」

「へへ、そうだよね。でもなんとかなる精神って割ときくのよ」

「入江くんとも、なんとかなるって思ってたの?」

 琴子が枝豆の殻を置く。顔を上げると、松本は琴子の目を真っすぐ見据えていた。

「ううん。松本さんも二人を見てたでしょ。無理だと思ったよ」

「ナイスアイディアは?」

「さっぱり!」

 琴子はからからと笑った。

「入江くんがあの人の事を好きでも、あたしの気持ちを変える必要はないし、入江くんが結婚して、もう会えなくても……、こっそり、死ぬまで好きでいようって」

「……自分で、結論を出したの?」

「ううん、金ちゃんからプロポーズされて、それで気付いたの。バカだよね」

「そうね」

「むっ」

「しゃくだけど、うまくいって良かったわね」

 微笑んで、松本はピッチャーを手にとった。そのまま手酌で自分のジョッキに注ぎ込む。

「やだ、あたしやるよ」

 琴子が中腰で、ピッチャーに手を伸ばすと、松本はその手をぴしゃりと叩いた。

「いいの、ほっといて」

並々と注がれたビールは、ジョッキの半分を泡で埋め尽くした。

「松本姉、酔っ払い……」

 琴子が不服そうな顔で松本を見る。松本は泣いていた。

「……松本さん?」

「……あ、やだコンタクトがずれたのね。気にしないで」

 琴子はテーブルに勢いよく手をつくと、立ち上がり松本を真っすぐ見た。

「あのね、あの!もしかしたら……、ううん、あたしが言う事じゃないんだけど、今でもいり」

「ないない!ないわよ!」

「松本さん……」

 松本は片手をゆらゆら振ると、鞄からタバコを取り出した。

「いい?」

「うん……」

 松本は綺麗に手入れされた爪、細く長い指でタバコを手に取り、煙りを吐き出した。

「っごほっ……」

「松本姉、あのね」

「一本吸ったらおいとまするわね。入江くんともお話したかったけど」

「松本さん!」

「あたし、松本さんが好きだから!松本さんがあたしを嫌いでも、あたしは好きだから!だから、だから……」

「……だから、何?」

 松本は、一吸いしただけのタバコを灰皿で消し琴子を見あげた。
女性らしい長いまつげをたたえるその瞳が、琴子を射抜く。松本は、視界が度の合わない眼鏡をかけたようにぼやけて揺れるのを感じ、さらに眉をよせて見つめた。少しでも気を抜いたら、今度は流れる涙を止めることは、きっとできない。

「ごめん松本さん、ちょっと変なこと……。今の忘れてもらえる?」

「……わかったわ」

 松本はゆっくりと口角を上げ、首をかしげて微笑んだ。

「で、でもね!いいことってみんなに平等に降ってくるって、そう思うの……。あっ、また変な事ばっかり……ごめん」

「……そうね。ありがとう、相原さん。じゃ、入江くんにもよろしく伝えておいて」

 松本は靴を履くと、深呼吸をして振り返り、小上がりにいる琴子を見た。

「相原さん!」

「ん?」

「……明日、いいこと……降ってくるかしら」

「……」

「すっきりしたら、降ってくるのかしら」

「ん……多分、くるよ」

「それ、乗ったわ」

「松本さん……」

「じゃ、結婚式楽しみにしてるわね」

 松本は微笑みをそのままに、そっと引き戸を閉めた。

 

2009年5月10日

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