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光と影(R-15)


 額を拭うと、手のひらが西日にテラテラと光る。エアコンのきいた書店でもう少し品定めをしていればよかった。直樹はうんざりしてシャツのボタンを引きちぎるように開け、手のひらをズボンでゴシゴシと擦った。

 日本の特徴ともいえる四季。草木が芽吹く春がきて、太陽が真上から照りつける夏の間に、しとしとともったいぶるように降り続ける梅雨とよばれる時期がある。ほんのさっき、今朝の天気予報で、関東地方の夏の始まりを宣言されたばかりだというのに、こんなにも急激に日差しが強くなるものなのか。直樹は毎年のこととはいえ、夏にかけての気候の変化に対する免疫が年を経るごとに弱まっている気がしていた。

 梅雨の間は薄暗く昼夜の判断のつかない色が空を覆う。今朝からは一転、鮮やかな、どこまでも透き通っていそうな水色をたたえた空が広がり、手足と頭皮を焦がす強烈な日の光に体力を奪われる。

 急激な気象の変化に体がついていかず、直樹は耐えかねてコンビニで制汗スプレーを購入した。ただ走らせていればいいと手を抜く体育教師のくだらない授業の後、気休めとはいえ素肌に吹き付けると、ひとときだけは爽快感が得られた。下校時にもシャツの襟足にスプレーをつっこんで心行くまで冷たさを堪能して、心穏やかに帰宅したというのに、今は体中から汗が吹き出している。

 一刻も早く帰宅したいと、下を向いて強い西日をよけながら家路を急ぐと、ちょうど家の前に停まるトラックが大きな陰を作っていた。トラックの荷台から荷物を下ろしたばかりなのか、首にタオルを巻いた運転手が席に向かう。トラックと家の門の隙間に身体を滑り込ませて、直樹は首をひねり玄関に向かった。

「……なんだこれ」

 二階へと上がる階段脇に、成人男性なら二人は入りそうな大きな段ボールがふたを横にして廊下を塞いでいる。のぞき込むと、何かを包んでいたと思わしきビニール袋と緩衝材が無造作に詰め込まれていた。

「お袋、廊下の……」

 リビングのドアを開けると直樹は閉口した。エアコンの効いたリビングに、「これだけは大きい物を」と父である重樹が取り寄せたテレビがある。その真ん前に山のようにそびえたつ、黒い大きな一人がけソファが背を向けている。「テレビに見合う物を」と置かれていた重たいだけが取り得の所々に彫刻の彫られた大きなテーブルがリビングの奥に押しやられ、元々あった応接用のソファに囲まれてさながらソファの展示会場のようだ。

「お袋!なんだよ、これ……」

 一人がけソファに周り込むと、寝息を立ててうたたねをしていたのは母である紀子ではなく、琴子だった。もう制服から着替えたその姿は白いキャミソールに制服のスカートといういでたちで、脚乗せ台に乗せられた太ももの隙間からちらりと布が見える。直樹は酷く苛立った気持ちを抑えられず、目を逸らして琴子の肩を強く叩いた。

「おい!」
「うん、ん……、あ、入江くん!おかえりなさい……。寝ちゃってた」
「なんだよこれ」
「ええー、天才でも知らないのぉ」
「……なんでマッサージチェアがうちにあるのかって聞いてんだよ、バカ」
「おばさまが、"あってもいいわね"ってさっき」
「……さっき?」

 琴子は大きく伸びをすると、マッサージチェアのスイッチを入れた。腰からせりあがるもみ玉に、琴子の身体がしなる。直樹はまだ不機嫌だった。琴子のキャミソールの肩紐が片方落ちそうだと告げようか告げまいか思案している自分が、酷く滑稽に思える。エアコンで引いたはずの汗が背中を伝った。

「うん、"思い立ったが吉日よ"って、さっき取り寄せて、おばさまは買い物に」
「……ふーん」
「これ、結構気持ちいいんだよ、ほら背もたれ倒せるの」

 背もたれがゆっくりと倒れていき、同時に脚乗せ台が上がる。スカートが大きくはだけ、白い布があらわになる。直樹は不機嫌な気持ちが期待と不安に変わっていくのを感じ、ズボンに両手を突っ込んで、そうして目を逸らした。こみ上げてくる熱い感情を、必死にズボンで押さえた。

「あ、気持ちい……」

 琴子の身体が機械に揺れ、その振動で声が震える。

「……ババくせー」
「なによう、入江くんだって座ったら絶対気持ちいいって思うよ」

 マッサージ機に揺られながら、琴子がうっとりと目を閉じる。直樹は琴子のキャミソールの紐が片方落ちかけ、胸が椅子に合わせて揺れるのをじっと見つめた。ただの同居人で、めんどくさい感情をぶつけてくるだけの存在だった琴子が、大胆に身体をさらしている。直樹はこの期待と不安がどこからくるのかが分かっていた。こみ上げる怒りにも似た熱い感情をそのままに視線を下ろしていくと、脚乗せ台が、琴子の足をぎゅうと締め付けて離す。その度にスカートが揺れ、見える白い布の面積が大きくなる。直樹は琴子に酷く憤慨していた。

「一生やってれば」

 リビング放った声が震えていなかったかどうかも構わず、直樹は早く涼しくなりたいと自室へと急いだ。

 

2009年9月2日

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