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とある日常の

 ちょうど今はタクシーが病院入り口から街中へとのろのろと場所変えをし始める頃、あたしは斗南病院近くのファミリーレストランにいる。店内は古きよきアメリカをモチーフにしたような、ずらずらと英語の書かれた看板が立てかけられていて、少し暗めの照明が人々をオレンジに照らす。あたしはポーチの中からケースを取り出して、ハートのモチーフの指輪を左の薬指につけた。入江くんはどんな顔をしてこの指輪を選んだのだろうと思うだけで、うっとりと幸福感に満ちた気持ちになる。身に着けると、例え入江くんが近くにいなくても、身体を温かい毛布で包まれたような心地よさを感じるのだ。

 ここへくる道すがら、客が入っているのかわからないような定食屋や古い住居が壊され、周囲をトタンで囲まれた工事現場が目に留まった。一度も入ったことのない店でも、誰が住んでいたのか分からない住居でも、見慣れた景色が壊されていくのにはちりちりと心が痛む。

「さみしいなぁ」

 あたしが一人ごちた時、うつむいた目の前の椅子が引かれた。ふと顔を上げると、入江くんが携帯とタバコをテーブルに放り出してコートを脱いでいる。

「入江くん!お疲れさま」
「疲れた」

 コートを乱雑に椅子の背もたれにかけると、入江くんは椅子に座りなおし、濡れた前髪をかきあげて肩肘を突いた。

「雨に濡れちゃったの?」
「ちょっとな」
「何食べる?」
「レギュラーバーグの300グラム、ライス大盛で」
「ええー、食べすぎじゃないの」
「食わせろよ」
「ダメとは言ってないけど」

 せわしなく動き回る店員さんを捉まえて手短に注文をすると、入江くんはタバコを一本咥えながら携帯の画面に見入っていた。

「メールした?」
「うん、とどいてる?」
「……容量でかくてダウンロードに時間かかってる。お前何送ったんだよ」
「……工事現場」
「はぁ?」
「……更地になっちゃって……。あの定食屋さん……」
「まあ、流行ってなかったからな」
「さみしいなぁって」
「形のあるものはいつか壊れるんだよ、なにセンチになってんだ」
「わ、わかってるもん」

 目の前に置かれたタバコの箱が、涙でにじんでぼやけて見える。時には何かをぶつけるように吐き出される煙は、このあたしの気持ちもどこかへと追いやってくれるのだろうか。箱に手を伸ばそうとした瞬間、目の前に焼きたてのハンバーグが置かれた。

 ハンバーグを小さく切って、ゆっくりと口の中に入れる。噛むと肉汁が溢れて、必然的に白いご飯が欲しくなる。ごはんをかみ締めると喉が渇くから、みずみずしい水分を湛えたサラダを口に押し込む。喉の奥がしょっぱくて、鼻がつんとするのは、この味の濃いハンバーグのせいではなくて、先ほどの出来事に違いはなかった。

「……入江くん」
「何」
「食べ終わった?」
「……見ればわかるだろ、あともう少し」
「あのね、あの」
「なんだよ」

 テーブルの下で指輪のハートをなぞり、あたしは勢い良くハンバーグをかき込んだ。

「ほごへ、ばぼ……」
「……喋るか食べるかどっちかにしろよ」
「……あのね」
「だから何」
「入江くん、プリクラ取りにいこう!」
「は……はあ?」
「考えたらあたし、入江くんとプリクラって取ったことないんだよね、ね、ゲームセンターに行こうよ」
「なんで」
「いいじゃない、いいじゃない、ねっね」

 あたしは喉にまだつかえたままのごはんを水で一気に流し込むと、オーダー表を引っ掴んで入江くんの背中を押した。



 ゲームセンターの自動扉を踏むと、大音量のBGMに混じり、奥にあるカジノコーナーのコインのこすれる音や、大きな声ではしゃぐ若者の声が耳に障った。

「わっ」
「うるせーな」
「えへへ……たまにはいいよね」
「なんなんだよ、急にお前……」
「あ、奥にプリクラの機械があるよ!あ、UFOキャッチャー懐かしいなぁ!リラックマ……」
「とらねぇぞ」
「えー、天才なのに?」
「……頭の出来は関係ないだろ」
「まあまあ、いいじゃない、あたしのおごり」
「……腑に落ちない」

 入江くんは渋々UFOキャッチャーの機械にコインを入れて、ボタンを慎重に押した。アームが左にゆっくりと動き、リラックマの正面を捉える。

「なんなんだよ、めんどくせぇな」

 ケースの横に回り、入江くんがあたしに背を向けてしゃがみこんだ。アームと景品の位置を確認している。あたしは息を整えて、入江くんの背中に話しかけた。

「あ、あたしね」
「何」
「あたしね、慌てて先生を呼びにいったのは覚えてるの」
「……」
「あたしどうしていいかわからなくて、先生はその場で死亡確認を」
「初めて?」
「あたしパニックになっちゃって」

 アームは不自然に揺れてリラックマを掴むと、器用にそれを手前の箱に滑り込ませた。

「あ、ありがとう……」

 しゃがんだままの入江くんから、リラックマを受け取ると、あたしはぎゅっと抱きしめた。埃っぽくて、少し涙が出る。目をこすると、入江くんは立ち上がって腰に手をやり、少し後ろへとそらした。

「腰痛い?」
「顔見たか」



 

 入江くんはあたしをまっすぐに見てつぶやいた。病院ですれ違う時に見るような、真剣で、鋭くて射抜かれるようなまなざしに、あたしはうつむいた。

「や……安らかな顔だと思いたくて、見られなかったの」
「お前な……」
「あ、あたしだって、"いつも元気な琴子ちゃん"じゃいられないときもあるよ……」
「随分センチだな、向いてないんじゃねーの」
「ひど……」
「いや、冗談抜きで」
「……そ、そうかも」

 涙をこらえようと眉間に力を入れると、入江くんの足元がにじんで見えた。

「プリクラは」
「えっ」

 顔を上げると、入江くんは大きくため息をついてあたしの肩に手を回した。

「ひゃっ」
「なんだよ」
「びびびっくりして」
「……今更」
「こ、こんな顔で……」
「どんな顔でも一緒だよ」

 ほっぺたをふくらませて見上げると、入江くんはいつものいじわるな笑みを浮かべて、あたしの肩を押した。



「わぁ、4パターンも取れるんだって!美白効果だって!すごおい!」
「……さっき泣いたのはなんだったんだ」

 鞄を置き、コインを入れると、機械からアナウンスが流れる。白くて分厚いビニール素材で囲まれた空間に照明が煌々と点き、画面に自分達の顔が現れた。

「ええと、二人の顔が入る位置っと」
「ちょ……ひっぱるなよ」

"イクヨー"

「きゃっ、もう取られちゃうの?えと、髪の毛……」
「必要ない」

 入江くんはあたしの手を取ると、カメラを見ながらあたしの腰を引き寄せて髪の毛に手のひらを滑り込ませた。

「きゃっ、な、なに」

"サン、ニー、イチ"

 入江くんはあたしの目を見て笑うと、顔を斜めにして唇を塞いだ。抵抗する暇もなく唇の隙間から舌が侵入してきて、舌の裏側に触れる。身体がびくりと動くのにもいとわず、入江くんはあたしを食べつくす。あたしの髪の毛を握り締めると、更に角度を変えてあたしの舌をとらえ、からめてはゆるゆると吸い、更に深く唇を割った。

"ソトデ、マッテテネ"

 何回かフラッシュを焚かれたかもしれない。やっと唇の束縛が終わると、あたしは目を開けた。

「も、もうっ……!いじわる!」

 入江くんは、口角を上げてにやりと笑った。



 すとんと軽いものが落ちる音がして、先ほど取られたシールが取り出し口に現れる。あたしは慌てて手にとり、入江くんを見て眉毛を寄せた。

「ちょ、直視できない……!! もおっ、……い、一枚くらいはチューしたかったけど全部なんて恥ずかしいっ」
「お前、自分がキスしてる写真みたことある」
「ないよ、ないない……あ、結婚式くらい……かな」
「いい顔してるんだよなー、ちょっと寄越せよ」

 入江くんは私の手からシールを取り上げると、愉快そうに笑った。

「いい顔してる」
「やだ……!もうっ」
「お前もちゃんと見ろよ」
「えっ、やだよお」
「見とけよ、おまえは今ここにいて、さっき俺とキスしてた」

 見上げると、入江くんは少し笑って、あたしの頭をくしゃりと撫でた。

「う、うん」
「俺は死なない」
「な、何言って」
「死ぬ気がしない、あの雨の夜から、俺はおまえを受け止めるために生まれてきたんだと思ったから、俺は死なないんだよ」
「……変なの」

 唇を尖らせてつぶやくと、入江くんは目を細めて私の頭をぽんぽんと叩いた。入江くんの手を取り自分の手のひらと絡める。身を寄せると、入江くんの鼓動が聞こえる気がする。入江くんは確かにあたしの目の前にいて、あたしを見てくれているんだと思うと、怖いものなど何もないように思えてくるから不思議だ。あたしはぬくもる心地よさにうっとりとしながら、ゲームセンターを後にした。


 

2009年9月29日

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