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かえりみち【R15閲覧注意】

 

「はー、疲れたね」
「玄関の明かり、消してやがる」
「まあまあ、夜も遅いし……ねっ」

 坂の途中の我が家を認めて、入江くんはため息をついてあたしの指先を絡めとった。そのまま手を引かれる。入江くんの手は一見しなやかだけれど関節は角ばってごつごつとしていて、合わされた手のひらはあたしを十分に包むことができるくらい厚い。あたしにはない力強さや強引さを感じるだけで、あたしは身体の奥が切なくてたまらなくなる。ふとしたときに男の人なんだなぁと再認識させられて、そのたびにもっと入江くんにしがみつきたくなる。

「なんだよ」

 入江くんは、手を引かれるままにのんびりと歩いていたあたしを一瞥すると、歩幅を小さくしてあたしの手を握りなおした。

「えへへ」

 ほんの小さなことだけれど、入江くんがあたしに優しくしてくれるのはなんだって嬉しい。入江くんは冷たくていじわるだけれど、あたしにとってはとてもわかりやすい優しさをくれるのだ。モトちゃんや他のみんなが気づかない、とても小さな優しさ。もしかしたら、この優しさに気づいているのは世界中であたし一人かもしれない。あたしだけが本当の入江くんを知っているんだ、多分。

 繋がれた手のひらから、入江くんの汗ばんだ高い体温が伝わってくる。手を握りなおして傍によると、入江くんの頬にまつげがくっついているのが見えた。

「入江くん、まつげほっぺたについてる」
「……ほっぺた?」

 入江くんはあたしの手を離して、右手首で頬を押し上げるようにごしごしとこすった。冷静沈着な医師とは別の入江くんの一面。毎日のように新しい発見があって、そのたびにあたしは胸が疼く。体の奥から入江くんを欲してしまう。入江くんは何度か頬を乱暴にこすってあたしを見た。その様子は一見めんどくさそうな雰囲気をかもし出していて、傍から見ればあたしたちはカップルには見えないかもしれない。ましてや夫婦だなんて。でも、あたしにとってはこれも夫婦の大切な会話なのだ。きっと、入江くんもそう思っていてくれている。だから、あたしにとっていつも入江くんは優しい。

「行くぞ」
「まだ取れてないよ、ち……ちょっと待ってね」

 入江くんの肩に手を置いて背伸びをすると、入江くんはため息をひとつついておとなしくかがんだ。爪で引っかかないように、恐る恐る顔に手を伸ばすと、入江くんは黙って目をつぶった。寄せられた眉が精悍さをかもし出している一方で、長いまつげが揺らめいていてとても妖艶に思える。通った鼻の下には少し横に引かれた唇がある。頑固そうな口元。顎に手を添えると手にちりちりとひげの感触のある箇所に触れて、あたしは思わず手を引っ込めそうになった。剃り残しかなと思うと、また身体の奥が疼く。入江くんの、男性としての一面をこうして否応なしに認識させられると、あたしはいつも波打つ鼓動を越えてもっと深く入江くんを知りたくなるのだ。入江くんの汗ばんだ肌をもっとじかに感じて溺れたいと思う。入江くんが欲しい。そう認識する間もなく、入江くんの唇に口づけた。あたしはとうとう我慢ができなくなって、入江くんの唇がなにか言いたげに動く前にあたしでいっぱいにしたかった。

「なっ……」
「んっ……」

 身体を引いて抵抗する入江くんの頭を固定して、やわらかいマシュマロのような入江くんの唇の感触を楽しんだ後、顔を斜めにして入江くんの口の中に押し入った。あたしからキスをする回数は、入江くんがあたしにする回数と比べるとほんの少ししかない。入江くんに翻弄されて何年も経って、どうしても触れたくて、たどり着きたくなるときがあたしにもあることに気づいた。ひとつになりたい、そう思うのは決して変なことじゃないし悪いことでもないと教えてくれたのは入江くんだけど、あたしから仕掛けるにはとても勇気のいることだ。あたしから誘うなんてことをしたことはない。でも、今あたしは冷静になって考えることができなくなっていた。疲労からくるものなのかそれはわからないけれど、今すぐにでも入江くんで満たされないとどうにかなってしまいそうだった。

 入江くんの意思を持った舌があたしを翻弄する。食べられて飲み込まれそうになるところでギリギリで押しとどまって、対抗するように舌先を固くして入江くんの口の中を探る。唾液と唾液が混ざり合って卑猥な音がすぐ傍で聞こえて更にあたしを駆り立てる。舌を動かすと、入江くんの舌の裏側のぬめったところに触れた。ざらざらした舌の表で何度か優しくこすると、粘膜と粘膜のこすれる感触に、いやでも性的な交わりが連想させられる。

 めまいにも似た感覚に腰から崩れ落ちそうになったところを引き上げられて、入江くんの膝があたしの足の間に入り込む。足を閉じようとして身体をよじってもただ声交じりの吐息が出るばかりで抵抗のしようがない。あたしは民家の塀に押しつけられて目を開けた。影になって表情はわからないけれど、入江くんの唇は唾液で塗れていやらしく光っていて目が離せない。その唇がゆっくりと動いた。

「……お前、ここでしたいの」
「……えっ」
「セックス。俺はいいけど別に」

 入江くんの形のいい口元から淡々と発されたその単語は、どんな卑猥な言葉よりも淫らで、あたしは目が離せない。欲しているのはあたしなのに、犯される前のようなおびえた気持ちになるのは、きっとその抑揚のない口調から半分本気で言っているのがわかるからだ。あたしは「抱いて欲しい」と願う気持ちを飲み込むようにうつむいて、「いつものあたし」が言うように続けた。

「なっ……何言ってるの入江くん!外でなんて、そんな、そんな……!」
「したいときは素直に言えよ」
「っ……で、でも外でって変態じゃないっ……」
「別に。公園もそこにあるし」

 入江くんはあたしの答えを待たず、手を引っ張って公園へと進んだ。

「ちょ、ちょっとまっ……」

 つんのめった先には入江くんの肩があって、あたしはぽすんと音を立てて入江くんの身体に収まった。入江くんはボディーシャンプーのにおいと汗のにおいが混ざり合う複雑なにおいを発していて、いつもあたしをうっとりさせる。あたしはなにも言えなくなる。ミツバチや蝶々が蜜に引き寄せられるように、おそらくは本能なのだろう。あたしも本能の赴くままに言葉をつむいだ。

「……い……」
「い?」
「家で……」
「家でなんだよ」

 入江くんの手が優しくあたしの髪を梳く。絡まったところを両手で優しく梳いて、また頭のてっぺんから熱い熱を持った手が下りてくる。

「家でしたい……です」
「ふぅん」

 入江くんはつまらなそうにため息をついた後、あたしの肩を抱いてまた坂を上り始めた。


 

 

2010年7月13日up

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