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禁じられてはいないのに

「ああ、わかった。──駅前に一時な」
裕樹は最近、携帯に電話がかかってくると自分の部屋にあわてて戻る。どうせ好美ちゃんからだろうと思っていたけれど、今日はお風呂に入りに降りて来たところのようだったので、階段から降りたばかりのあたしには、その会話がばっちりと聞こえた。
「もう大学生だものねぇ」
「なっ、なんだよ琴子! びっくりするじゃねぇか!」
「明日は土曜だし、帰ってくるのかしらぁ?」
 裕樹をからかうのは楽しい。今まで散々からかわれてきたんだもの。これくらいしてもバチは当たらないでしょう?
「かっ、帰ってくるに決まってるだろ! サークルの仲間と遊びに行くだけだよ!」
「へぇ、サークルねぇ。何人集まるのかしらぁ。もしかして二人きりだったりして」
「だったらどうなんだよ! どうでもいいだろ!」
 裕樹は顔を真っ赤にして携帯を握り締めている。あたしは優越感に浸りつつ、自分の携帯を開いた。
「好美ちゃんへ、明日は裕樹くんとデートですか?──っと」
「なっ、なにやってんだよ!」
 裕樹が力づくであたしの携帯を取り上げた。力ばかり強くなるんだから。
「もう送信しちゃったもん」
「バカ琴子」
 罵声を聞き流していると、すぐに着信音が鳴った。
「じゃーね! ごゆっくり」
 あたしは携帯を奪われないよう、自室に戻った。携帯を開くと案の定好美ちゃんからではあったのだが、その内容は想像し得ないものであった。
「いっ、入江くん……、ど、どうしよう……」
 あたしはきっと真っ赤な顔をしていたと思う。机で仕事をしていた入江くんは振り向きざま、あたしの情けない声と表情にとまどったのであろう、一瞬ぎょっとした顔をしたが、非常事態を察知してくれたのか、パソコンを閉じてベッドに座った。
「ほれ」
 隣をぽんと叩かれて、入江くんの横に座る。肩を優しく抱かれると落ち着いてきたので、あたしはゆっくりと話しはじめた。
「裕樹くんと、好美ちゃんの話、なんだけど」
「二人がどうかしたのか?」
「あっ、明日するかもって」
「なにを」
「だっだから、あの、その」
 あたしはそれ以上言えなくて、携帯画面を差し出した。
「──明日、裕樹くんとの関係が一歩進むかもしれません──ってこれ、好美ちゃんからきたのか」
「そっ、そうなの。ど、どうしたら、ああたしあたし」
「なるほどなぁ」
 入江くんはなにか思い出したのか、ふっと笑ってあたしの肩を押した。視界がぐらついて、白い天井が見える。
「俺たちだって、学生のときにシた、どころか、結婚までしたじゃねぇか」
「そっ、それは入江くんが結婚するってみんなに言っちゃったからで」
 冷たい手のひらが頬を撫でる。きつく目を閉じると、唇を塞がれた。隙間から探るように舌が潜り込み、口の中を余すところなく侵略していく。
「いっ、入江くん? 仕事は?」
 拘束が解かれたと思えば、入江くんの気配が動いて、あたしは目を開けた。瞬間、電気が消されて何も見えなくなる。入江くんはあたしの問いには答えず、慣れた手つきであたしの服を脱がしていく。
「明日、尾行しようか」
「はぁ? 本気で?」
「面白そうじゃん」
 自分の服も脱ぎ去った入江くんが、あたしに覆いかぶさって強く抱きしめながら耳元でささやいた。
「……入江くんにもきちんとお義母さまの血は流れてるのねぇ」
 手のひらがじわじわと身体を這う。その合間につぶやくと、入江くんは不機嫌そうにため息をこぼした。
「ん……なんか嫌なこと言った?」
「……その無駄口叩く余裕が気にいらねぇ」
 入江くんはあたしの耳たぶをくわえて優しくねぶり、息を吹きかけてきた。あたしはもうなにも考えられなくなって目を閉じた。

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 入江くんから解放されたあと、好美ちゃんからデートの詳細を無事入手し、あたしたちは今、二人が待ち合わせをする駅前で、好美ちゃんの後姿を見ていた。
「待ち合わせデートって、いいなぁ」
「で、待ち合わせてどこ行くんだって」
「映画だって。サンディって書いてあったけどなんだろ」
「──3Dだろ……」
「ふぅん? あっ、右見て! 裕樹くんが……」
 駅の改札から、裕樹くんが歩いてくるのが見えた。知らせようと横を向くと、入江くんは急にあたしを抱きしめてきた。
「いっ、入江くん? あっあのっ、ここ、外……」
「いいじゃんたまには」
 腕が緩められて、顔が近づいてくる。人がせわしなく行きかう道端では、べたつくカップルも少なくないけれど、入江くんが真昼間から迫ってくることなど未だかつてなかったことだ。あたしは戸惑いながら入江くんのくちづけを受け入れた。口を割るようにふさがれて、舌を絡め取られる。立っていられなくてしがみつくと、入江くんは音を立てて唇を解放し、あたしの頭をひと撫でした。
「行くか」
「んっ……、あれ? 二人ともいなくなっちゃった」
「ここらで映画館なら多分あそこだよ」
 入江くんが迷わずに歩き出したので、あたしはぼうっとする頭をペチペチと叩いて背中を追った。

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映画館は人でごった返していて、裕樹も好美ちゃんも見当たらない。なんとか探そうとあたりをうかがっていると。入江くんがチケットを二枚買って来てくれた。
「ほら、チケット」
「で、でもいるかどうか」
「3Dなら、ここでならこの映画しかないから」
「ふぅん……。で、あのね、ポップコーンが食べたいの」
「……お前人の話聞かないな、相変わらず」
「ポップコー……あっ、いた!」
 ポップコーンと飲み物を持った二人を見つけて、あたしは入江くんの影に隠れた。と同時に、ふとした疑問がわきあがってくる。
「ねぇ、あたしたち、なんで裕樹くんたちの尾行してるんだったっけ?」
「……お前がしたいって言い出したんじゃなかったか」
「そ、そうだっけ? そうかな」
「おい、あいつら中に入ってくぞ。ここ指定席じゃないから急げ」
「はぁい……?」
 釈然としない思いを抱えながら、あたしは入江くんのあとに続いた。

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 気づかれないように、二人の後ろに陣取ったあたしたちは、入江くんに買ってきてもらったポップコーンを食べながら映画を見ていた。渡されたサングラスのようなものをつけて鑑賞すると、映画が立体的に見える。最初はいたく感動したが、だんだんと目がしょぼついてきた。映画はちょうど、ラブシーンに入ったところであるというのに、目が疲れて感情移入どころではない。あたしはメガネを外して入江くんに耳打ちした。
「……目がしょぼしょぼするよ」
「せっかくいいところなのにお前……」
「あっ」
あたしは前の席の裕樹くんの手が、好美ちゃんを握ったのを認めて思わず声を上げた。
「静かにしろって」
「だ、だって裕樹くんが好美ちゃんの手をにぎ……」
「黙れって」
 メガネなしではぼやけて見づらいけれど、映画の中では、濃厚なキスシーンが展開されているようだ。聞いているだけで顔が赤くなる。再びメガネをかけようとすると、入江くんの手があたしの顎を持ち上げた。
「えっ? な、なに」
「……静かに」
 入江くんは顔を斜めにしてちゅっと音を鳴らしてくちづけをすると、あたしに覆いかぶさるように深く舌を差し込んできた。ぐるりと口の中をかき回されて、舌をゆるゆると吸われる。映画の中ではまだ、女優が快楽に悦ぶような声を上げている。あたしは荒い息と漏れる声が、自分のものとも映画から聞こえるものともつかなくなって、入江くんのされるがままになっていた。

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 結局映画の内容はまったく分からないまま、あたしたちは裕樹くんと好美ちゃんのあとを追って、同じカフェに入った。一日にそう何本も吸わない入江くんが珍しく喫煙席を希望したから席が離れてしまうのではないかと心配だったけれど、近くに座ることが出来たということはつまり、裕樹くんも吸うのかもしれない。
「裕樹くんってタバコ吸うの?」
「たまに貰いにくるけどな」
「ふぅん?」
 頬を紅潮させて楽しそうに話す好美ちゃんの斜向かいに、遠慮がちにタバコに火をつける裕樹くんが見えた。
「裕樹ももう成人して……って、まだあと何ヶ月かはあるんじゃないの!?」
「そうか?」
 入江くんがそしらぬ顔でタバコに火をつけたとき、頼んでいたショートケーキが運ばれてきた。
「わぁ、いただきますっ」
 手を合わせて、おおぶりなイチゴをほおばる。すっぱさの中に強い甘みを感じて、思わず頬を抑えた。
「美味しいよぉ」
「……」
「入江くん?」
 入江くんは裕樹くんたちをちらりと見たあと、ふうと息をついてタバコを消した。
「どうかした?」
「口の周り、クリームだらけ」
「えっ、や、やだ」
 紙ナプキンでぬぐおうとすると、目の前が暗くなった。気づいたときには入江くんの顔がすぐそこにあって、あたしは反射的に目を閉じた。優しいぬくもりのする、穏やかなくちづけを受けながら薄目を開けると、目の端に裕樹くんの顔が近づいてきていて、あたしはあわてて入江くんを押した。
「……あのさぁ」
 裕樹くんの声のトーンが低い。あたしは怒鳴られるのを覚悟して目をきつく瞑った。
「このあと、好美んちに行くから、おにいちゃんもういいよ」
「もういいのか」
 入江くんは恥ずかしがる様子もなく淡々と裕樹くんと話している。なにが「もういい」なんだろう?
「好美ちゃんは」
「おにいちゃんたちには気づいてないよ」
「ふぅん」
「実際に見せて、とも、あそこまでしろとも、言った覚えはないけど」
「実用的だったろ?」
「……おにーちゃん、からかってるでしょ」
 裕樹くんの頬が、ぼっと赤くなった。話が読めない。
「からかうって、なにを?」
 尋ねると、入江くんはにやりと笑った。
「そりゃ、今日裕樹は……」
「おにーちゃん! もうわかったから!」
 裕樹くんは小声で精一杯の抗議をすると席に戻った。
「なんだったんだろ……」
 裕樹くんと好美ちゃんが店を出て行く。あたしはそれを目で追いながら、入江くんに問いかけた。
「……おとつい、裕樹が電話で話してるのを立ち聞きしたんだよ」
 入江くんは二本目のタバコに火をつけながら、遠くを見るような目をして笑った。
「真剣に『ディープキスってどうすればいい?』って話してるからおかしくて」
 あたしは顔を真っ赤にして電話をしている裕樹くんを想像して吹き出した。
「なっ、なにそれ」
「おかしいだろ? 部屋覗いたらあいつ、真剣な顔してメモしてたんだ。面白いからしばらく見てたら見つかって」
「だから今日、沢山キスしたんだ」
 あたしは今日の、いつもからは想像できないほど大胆な入江くんを思い出して納得した。どれもすがりつきたくなる深いキスばかりだったことを思い出して、身体が熱くなるのを感じた。
「あいつら、俺たちよりずっと健全なお付き合いみたいだな」
「そ、そうだね」
「ま、今日どこまで行くかは知らないけど」
「えっ」
「知らないのか、好美ちゃん一人暮らしらしいぞ」
「ええっ」
 あたしは急に襲ってきた生々しさに耐え切れず、髪の毛をわしわしとかき回した。
「うわぁ、なんか、もう、あ、あたし想像したくないっ」
「じゃ、俺たちも想像できないことをしに帰るか」
「えええええっ」
 入江くんに引きずられるようにあたしはカフェを出て家へ向かった。空はもうとっぷりと暮れて、ネオンがゆらゆら光っている。今日の入江くんにはびっくりしたけれど、外で思い切りべたつけるのは嬉しかった。あたしは心の中で裕樹くんに感謝しながら、入江くんの手を強く握り返した。


 

 


2011年1月20日up

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