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演劇的!ビフォー・アフター

「……嫌です」

 直樹は即答し眉を寄せた。

「ほっ、本当ですか? やります、絶対!」

 その直樹の隣で拳を握りしめ興奮に鼻の穴を膨らませたのは琴子である。

 斗南病院では季節ごとに、外部から合唱団やピアノ奏者などを呼び、どうしてもふさぎ込みがちになる入院患者の心を軽くする取り組みをしている。
二人の間の前に立つ事務方曰く、この春はそのどの団体とも折り合いがつかず、職員による出し物をしたいとのことであった。

「こいつと二人で呼び出されたときから嫌な予感はしてたんだ」
「なによぉ、本当は嬉しい癖にぃ」
「あのう、お話の続き、いいですか?」

 事務員はしかめっつらの直樹と期待に目を輝かせる琴子を交互に見て、恐る恐る話し出した。

「今回は、ちょっとした劇をと考えています。
ストーリーは、片思いの女の子がラブレターを渡し、紆余曲折ありながらも卒業式にハッピーエンドというような……。
まあありがちなんですけど」
「うっ、ううっ……うわぁぁぁん!」

 部屋のガラスを共鳴させるほどに大声を出して泣く琴子に職員は手元の紙から顔を上げた。
琴子は顔中を涙でぬらして、両手を祈るように組み合わせてひざを突いている。
ストーリーの概要だけで、こんなに人は涙を流せるものなのか。

「……とりあえず、続けてください」

 直樹は琴子を無視して事務員を促した。

「えっと、それで……ちょうど入江先生と入江さんがご夫婦なので、配役はぴったりなのではないかと」
「うわぁぁぁん!」
「……無視してください」
「あの……設定は高校生で年齢的にはどうかとも思うんですけど、まあそこはフィクションと言うことで」
「こっ、高校生! うぇぇぇぇぇん!」
「続けてください」
「あ、あのヒロインとその相手役をお二人に、と思ったんですけど」
「ううっ……あたしの高校時代が報われる日が来たのねっ」
「……拒否権は」

 直樹は琴子のもだえるような珍妙な動きにも意を介さず話を続ける。
事務員は琴子のタコ踊りに気をつられつつ、また紙に目を落とした。

「ちょうど企画の予定日に手術等の予定のない先生や職員が、入江先生の他に西垣先生しかいなくてですね」
「ふぅん、西垣先生ね……」

 直樹は眉間をぎゅっとつまみ、天を仰いでため息をついた。

「……わかりました」
「いっ、いでぃえぐん、ほんど、ほんどにほんど? あだじ、いでぃえぐんの」
「いいから鼻かめ」
「あのう」

 琴子が盛大に鼻をかむ。直樹は承諾はしてくれたがいかにも不機嫌である。
事務員は震える手をもう片方の手で押さえつけながら二冊の台本を手に持った。

「あの、これが台本です。大変恐縮ですが二人芝居なので、ご自宅でも覚えていただけたらと。
ナレーションは僕がいたしますので」
「……なるほど、それで真っ先に俺たちに」
「ご協力に感謝します! それでは、失礼いたします」

 触らぬ神に何とやら、事務員は疾風のごとく部屋をあとにした。

「……なるほどね。これ書いたのは恐らくは……」

 直樹はざっと台本を通読し、もう一冊を未だ泣き崩れる琴子に手渡した。

「まずは読め」
「う、うん。……えっ、あのっ、あれっ、なにこれ、なんだろ、なんで?」

 琴子は台本の一文一文にいちいち驚き、感嘆とも驚愕ともつかぬ声を上げる。

「……はめられた」
「は、はめ?」
「名前も俺たちと同じ、しかもここまで高校時代の俺たちのことをなぞるように書いているってことは、もともと俺たちには断る道はなかったってことだよ」
「じょ、情報源は」
「知らね。お袋じゃねぇか」
「でもちょっと違うよね。
この脚本によるとあたしは元々地方出身で一人暮らしみたいだし」
「それはいいけど、お前自分でやるって言ったからには、台本覚えろよ。
台詞間違えたりとんちんかんなことやったら……」
「わかってるよう、んもう入江くんったら」

 ばしと直樹の背中を叩いて、琴子はふんぞり返った。

「あたしに任せなさいっ」

***

「『こ、これよかったら読んでください』」

 ベッドに寝っころがりながら、たどたどしく琴子が言う。

「『気持ちは嬉しいけど、今はテニスが恋人だから』」

 直樹は感情を込めずに淡々とつなげた。

「入江くん? もっとこう、感情を込めて……」
「覚えりゃどうにでもなるよ。ほら、次の台詞」
「えーっと……、『じゃああたしの成績が100番以内に入ったら考えてもらえますか?』」
「……唐突な展開だよな」
「入江くん、はい次!」
「……『F組の君が入れるとは思えないけど』」
「『じゃあ毎日あたしに勉強を教えてください!』」
「なんなんだよ、この脚本はよ……。
『……わかったよ、じゃあ今日これからうちにくる?』」
「……なんかさぁ」
「なんだよ」

 琴子は体を起こしてため息をついた。

「これに出てくるあたしって、かなり厚かましくない?」
「……お前、今まで自分のことを一度たりとも厚かましいと思ったことはないのか」
「ひどぉい! 入江くん!」

 隣に寝そべる直樹に乗っかり、琴子がぽかぽかと直樹を叩く。

「いてぇよ、バカ。
ほれ、場面は変わって俺の部屋」
「んもう、えっと……『今日はどうもありがとう』」
「『いいから座れば』」
「『は、はい』」
「『で、どこがわからないの』」
「『わからないところがどこなのかわからないんです』」
「ぷっ」
「……なによう」

 直樹は吹き出した後、お腹を抱えて笑いだした。
琴子は直樹の上から離れ、隣に寝そべって頬を膨らませた。

「ああおかしい。
『……さすがF組だな。このままじゃ大学にも行けねぇんじゃねぇの? 学費の無駄だな』」
「……なんか入江くん、感情こもりすぎてない?」
「早く、次」
「……。『頑張ります。でも実はあたし、一人暮らしなんです。
毎日お邪魔するのは申し訳ないので、明日からあたしの家にきてもらえませんか』」
「全くひでぇ展開だな。
で、このあと毎日夜中まで勉強して半同棲……」

 直樹は盛大にため息をついて台本をめくる。

「もうこの時点でつき合ってるも同然だよな」

 直樹の言葉に、琴子の肩がぴくりと跳ねた。

「いっ……入江くんからそんな言葉が聞けるなんてあたしっ……」
「なに泣いてんだよ。劇中の話だろ」
「片思い時代のあたしに聞かせたい、聞かせたいわぁっ」

 琴子はうっとりと胸の前で祈るように手のひらをくんであらぬほうを見ている。
直樹は琴子をちらりと見てまた台本を読み進めた。

「──成績発表の日……、琴子からだぞ」
「えっと、『入江くんありがとう。
100番になれたのも入江くんのおかげだよ』」
「『ふーん、まあ俺には関係ないけど』」
「うわっ、なんか……」
「なんだよ」
「いえ、なんでも……えっと、『あ、待って入江くん!』」
「『100番以内に入ったら、考えるだけは考えるって言ったんだよ。
俺にこれ以上まとわりつくな』」
「……入江くん、患者さんからの人気落ちるかもね」
「所詮作りものだろ。
──それから琴子は影で直樹をそっと見守るだけになってしまった」
「泣けるナレーションね……」
「──そして体育祭の日。
話がずいぶん飛ぶな。誰が書いたんだこれ」
「いいからいいから、ナレーションお願い」
「……琴子は直樹に差し入れのおにぎりを手渡した。
はい、次」
「えっとぉ……『よかったら、食べてください』」
「『体育祭ごときにムキになるなんてばからしい。
適当にやるから差し入れなんていらない』」
「『なによ、男らしくないわねっ』」
「……やけに感情込めてるな」
「『どうせ本気出しても一位になれないんでしょう? そんなものよね、A組なんて』
……ねぇ、入江くん。あたし、こんなこと言ったかなぁ」
「惚れてんのか嫌いなのかわかんねぇよな。
ま、いいんじゃねえの。コメディだし」
「えっ、純愛ものじゃないの」
「いきなり半同棲とかギャグの域だろ」
「あたしたちの今までってギャグだったんだ……」
「今更。……で、リレーで俺が金之助と一騎打ち……。次」
「あっ、はい、えっと……『キャー!』」
「──他の生徒に押された琴子はリレーのトラックの上に倒れ込んでしまった。
そこに避けきれなかった直樹が覆い被さるように倒れ込む……。
ほんっと、お前バカだよな」
「そんな台詞書いてないでしょっ! えーと、あれ、まだナレーションかぁ」
「──立ち上がれない琴子を背中にしょって直樹はグラウンドを後にする」
「『入江くんありがとう』」
「『バーカ』……誰か聞いてたのかよこれ……
──その日からおおよそ人間とは思えない冷酷な立ち振る舞いをしていた直樹の評価が一変した。
……名誉毀損もんだなこれ」
「続き、続きっ」
「──直樹はずば抜けて成績が良く、運動神経も良い。
そしてその端整な顔立ちからひそかなファンはいたものの、面と向かって告白したのは琴子ただ一人だった。
だがその日を境に、直樹は休み時間ごとに呼び出されるようになる。
琴子はそれをただ黙って見つめていた。……ストーカーかよ」
「乙女なんですっ!『入江くんと同じ大学に行きたかったけど、じっ……地元に帰ってこいって昨日おとうちゃんから電話が……ううっ』」
「……なに泣いてんだ」
「かわいそうでかわいそうでっ……」
「次はナレーションか
──その日直樹が琴子の家に帰ってきてからも、琴子はそれを告げられずにいた。
……まだ半同棲してたのかよ」
「まあまあ。季節は飛んで、受験の日……。
ああっ、入江くん、ナレーション手短に読んでっ」
「──直樹はT大を受験するため琴子と一緒に電車に乗っていた。
琴子の顔色が優れないのが気になったが、琴子がどうしても着いてくるといってきかなかったのだ。
そして悲劇は起こった。
T大の校門前まで見届けた琴子は腹痛に耐えられなくなりうずくまってしまう。
直樹はすかさず琴子に駆け寄り横抱きにした。
病院にかつぎ込んだ後、直樹はもうT大を受験する気にはなれなくなっていた。はい次」
「『あれ? ここは……。入江くん、受験はどうしたの?』」
「『別に。お前といるとおもしろいし、このままエスカレーターであがるのも悪くないと思って』……色々混ざってるな」
「これ間違いなく情報源はお義母さまよねぇ」
「だから最初から言ってただろ。
──そして卒業式当日
……飛ぶなぁ。
──琴子は直樹とふたりで学校に向かいながら、地元に帰ることをまだ言い出せずにいた……。
もうつき合えよお前ら」
「そこが恋愛の醍醐味じゃないのっ! 乙女の、全国の女子の夢よ!」
「……肩凝った」

 直樹は琴子の手を引いてベッドに座り、琴子を囲い込むように足の間に座らせると台詞を続けた。

「ああ、まだナレーションか。
──偶然にもA組とF組は同じ店で謝恩会を行うことになった。琴子、次」
「『ええっ、入江くん! A組も同じ会場なのね』」
「『うるさいな、話しかけてくるなよ』──そう、直樹は家でも学校でもほとんど琴子と会話をすることはない。
だが同棲はしていたのだ。
……おかしいだろこれ」
「なんで同棲してたのかな」
「物語が破綻してんだよ。次、琴子だぞ」
「えっと……、『もう入江くんのこと好きなのやめる!』」
「──-そう叫んで琴子は店を飛び出した。
『琴子、待てよ』」
「『なによなによ! みんなの前ではいつもバカにして! あたしはもう来月から地元に帰るんだから!』」
「『ふーん、帰っちゃうんだ」』
「『そーよそーよ、もっとすてきな男の人見つけるんだから』
──言い終わらないうちに直樹は琴子を抱きしめた」
「『働きながら大学に通うよ。琴子、結婚しよう』
──そしてふたりは強く抱き合った
──二人は末永く幸せに暮らしましたとさ」
「なんだかなぁ」
「ま、足りないところはアドリブだな。なんとかなるだろ」

 直樹は台本をぽんと床におくと琴子の両手首をつかんでベッドに押し倒した。

***

 二人の予想に反して、患者はそのストーリーとふたりの演技に感激をし、中には涙を流すものもいた。
一種異様な熱気の中で物語はクライマックスシーンを迎える。
「『琴子、結婚しよう』」
 直樹は台本通り、琴子をさらに強く抱きしめた。
琴子もそれに応えて腕を回す手に力を込める。
ナレーションが流れる寸前、直樹は琴子の顎に手を添えた。
「ちょ、ちょっと入江くん! 台本に……」

 琴子が小声で制しようとする。

「足りないところはアドリブだって言っただろうが」

 直樹はにやりと笑って、琴子に口づけをした。
二人を取り巻く空気が一変し、なまめかしさが漂う。
時折漏れ聞こえる琴子の吐息が生々しい。
角度を変えて何度も繰り返される口づけに、患者や看護師から悲鳴が起こった。

 いつナレーションを入れて良いか戸惑う事務員を尻目に、紀子と西垣は会場の一番後ろで不適な笑みを漏らしていた。

「入江先生のお母さん、ご協力感謝しますよ」

 西垣は、半ば自棄ともとれる直樹の様子を見て愉快そうに笑った。

「入江先生は実にからかいがいがある。いえ、彼は類まれなる才能を秘めておられる」
「いいえ、西垣先生の脚本がよかったんですのよ、おほほほほ」

 紀子は携帯を取り出して写真を撮り始めた。
シャッターを切る間抜けな音が会場に響く。

 なんということでしょう。
 西垣による西垣のための劇は、その後斗南病院の伝説となり後世に語り継がれることになるのです。


 


 

 

2011年3月28日up

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