dependence. > text >ひとりじめ

ひとりじめ

 入江紀子によって綿密に計画された直樹と琴子の結婚披露宴は滞りなく終わった。琴子は夢にまで見た「自分の花嫁姿」におおはしゃぎをし、聞かされてもいない演出やサプライズにもその「何事も気にしない」流される性格のまま楽しんでいたが、一方で直樹は好みではない派手な演出に幼少の頃の「女装姿」まで暴露され、しまいには怒りの余りに「帰る」「寝る」「嫌だ」と単語しか発しなくなっていた。控え室に戻った二人はどちらからともなくため息をつき、言葉少なにまた用意された服に着替える。二次会が待ちかまえているのだ。
 化粧直しをし、少しドレスダウンした琴子は、椅子に座ったまま顔をテーブルに乗せて微動だにしない直樹におそるおそる話しかけた。
「い……入江くん、二次会行かなきゃ」
「嫌だ」
「そんなこと言わないで、ねっ」
「勝手に行ってくれば」
「入江くんったらぁ!……二次会はお義母さまはこないよ」
「嘘つけ」
「本当だよ! 企画も・・・・・・渡辺くんとか、さとみとかじんこが考えてくれたみたいで」
 「渡辺」という名前に、直樹は頭を上げた。琴子は披露宴中ろくに見ることのできなかった直樹の、その端整な顔立ちにまたどきりとしてしまう。思いが通じたことだけでも奇跡なのに、「二人の」結婚披露宴をあげることができたのだから、感慨もひとしおである。琴子はまるで夢の中にでもいるかのようにうっとりと直樹を見つめた。直樹はハートでも飛んできそうな琴子の視線を無視して目と目の間をつまんで天井を仰ぎ見た。まだ顔色が青ざめているのはビールをめいっぱい飲まされたせいではない。眉のあいだに深いしわがあるのは前夜に寝られなくて本を読みふけっていたからではない。全ては母である紀子の仕組んだ披露宴が、直樹の想像の斜め上を飛び越していたからにほかならない。
「渡辺・・・・・・いつのまに」
「あっ、話を通してくれたのはお義母さまなんだけどね、渡辺くん、張り切ってくれたみたいだよぉ」
「ふぅん」
「ねっ、お友達の好意を無駄にするのは、よくないよっ」
「……まぁ」
「ねっ、じゃあ立って、入江くん……」
  直樹は手を引かれた反動で琴子を抱きしめた。
「キスするくらいの時間はあるだろ?」
「あっ、そのことなんだけど……」
  直樹の唇が、琴子にそっと触れる。琴子は二人の衣装を気にかけながらも手足の力が抜けたように直樹のなされるがままになっていた。
「さっき何言いかけてたの」
  今にも崩れ落ちそうな琴子を抱き支えながら、直樹は琴子の耳に息を吹きかけた。
「ひゃっ」
「早くしないと時間ないんだろ」
「耳っ、だめなのっ」
「なにが」
「なんか、頭ん中がぼうっとしちゃって」
「ふぅん、覚えとく。誰にもその顔見せるなよ。……で、キスが何」
「言いにくいから……、二次会でのお楽しみってことで」
「で、耳たぶにキスしたら……」
「やぁんっ」
 琴子はびっくりしたように飛びはね、手で口を覆った。顔は茹で上がったタコのように真っ赤である。
「やっぱり二次会、行きたくない」
「んもう、いいから早くっ」
 琴子は口を押さえたまま、もう片方の手で直樹の手を引いた。

  ***

「は?」
直樹はまとわりついてくる酔っ払いをあしらいながら、マイクを持ち司会進行をする渡辺をにらんだ。
「まあまあ、入江もさ、結婚したんだから」
「なんでそんな見世物みたいなことしなきゃなんねぇんだって言ってんだよ」
「まあまあ、ね、入江くん。今日はおめでたい席だから」
 今日一番の不機嫌な顔をした直樹に、琴子がなだめようと声をかけるも、直樹はだんまりを決め込んで椅子にどっかりと座った。
「キース、キース、キース!」
 渡辺が発した「改めて新郎と新婦にキスをしてもらいましょう」の言葉に、会場は揺れ、二人をはやし立てる。
「二次会って、ビンゴ大会とか、こういう……キッキスとかっ、定番みたいよ……?」
「知ってたら来なかった」
「だって、耳……!」
 こそこそと顔を近づけて会話をする直樹と琴子の様子に、輪をかけて参加者は暴走をしはじめた。
「キース! キース! キース!」
「うるせえぞお前ら!」
直樹のドスの利いた声も、酔っ払いには届かない。いつのまにか場内には「てんとうむしのサンバ」の一部分がリピートされて響いている。
「キッスをしようとはやしたてっ! キッスをしようとはやしたてっ!」
 直樹に逃げ場はなかった。そもそも、今日という日は直樹のための日ではないのである。俗に結婚式、披露宴は花嫁のものであると言われる。花婿はいかなる場面においても、ただ黙って唇をかみ締め、羞恥に耐えるしかないのである。
 直樹にとっては、場内にいるすべての人間が敵であった。
「入江くん、ちょっとだけキ……キスしちゃおうよ。収まんないよこれ」
「……そうだな、そうするか」
 直樹は琴子の腕を引っ張って壁に押さえつけ、覆いかぶさるように荒々しく琴子の唇をふさいだ。
「おおおーっ」
 酔っ払いは一瞬の興奮から一転、いつまでも続く二人のキスに息をのんだ。
 二人のつながる隙間から絡み合う舌が見え隠れし、大方が予想していた初々しいキスではなくなっている。直樹の身体は琴子の足の間に割り入っており、隙間もないほど密着している。片方の手のひらで琴子の顔を場内の死角にすると、唇から耳へと唇を滑らせていき、首元にまでも顔をうずめた。
「満足したか」
 気絶寸前の琴子を抱きかかえながら、直樹は場内を見渡した。
「ご、ごめん入江……」
 呆ける酔っ払いたちと直樹を交互に見て、渡辺はひきつった笑いを見せた。
 直樹は固い表情をそのままに、渡辺の肩をぽんとたたき、琴子を連れて会場を後にした。
 琴子が正気に戻ったとき、直樹はベッドに横になっていた。
「じゃ、おやすみ」
「う、うん……。あ、あたしなにして……」
「いいから早く寝ろよ」
 部屋の照明が落とされる。二人の初夜は静かに更けていった。
 


 


 

 

2011年6月7日up

web拍手 by FC2

inserted by FC2 system