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多幸感


蛍光灯がちかりと音をたてている。

耳をそばだててやっとかすかに聞こえる音でも気になるもので、うすぼんやりと天井を見上げた。

本を手に取ったところで寝られるはずもなく、先程から付けっぱなしだった読書灯がゆっくりと瞬きをして再び灯る。
不規則に照らす光に、知る天井とは思えずタオルケットを引き上げた。

さようならと。

一滴の酒がくすぶりながらも熱さをじんわりと放っていた火に零れ落ち風を伴って身体を駆け抜けていったのだと。

やがて炎となり喉の奥をかき裂き、幾重にも頑丈にラッピングされた胸の奥、小箱を焼き尽くし破壊しさらに勢いを増した炎は身体をうねりながら血を煮えたぎらせ爪の先までにおよんだのだと。

それだけならば生を終えるまでその熱さに堪えればいつかは火は一筋の煙りを立ち上らせながら消えてゆく。
悟られなければいいと覚悟もできるだろう。

しかしその火が炎となり自分と琴子を飲み込んでしまったのだ。

思うほどに、自分の思慮の無さにうんざりとする。

会社の行く末、親父の行く末、自分の行く末…。
結局のところ、自分は自分の行く幸せを選んだ。

真暗な空間にたよりなげな明かりを放つ蛍光灯が、ちりちりと再び音をたてる。

そろそろ、取り替える時期がきたのだろう。

生活をしていく上で、多かれ少なかれ、予測できないなんてことはなかった。

いや、わかっていたんだろう?
とっくのまえに。

もうすぐ窓の外を藍が薄らいだ色で柔らか味を帯びて忍び寄る。
今夜は寝られないだろうと思っていた。昔から予測をすることは自分にとってた易いことだから。
そう考えると少し、冷静さを取り戻した気がして、タオルケットを頭まですっぽりと被った。

蛍光灯の光が、邪魔だ。

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眠れたらしい。階下から琴子のコロコロとなく虫のごとく相槌をうつ声が聞こえる。相手は間違いなく母であろう。

いつもの朝に安堵し、まぶたを開けた。

カーテンの隙間から差すように入り込む日の光はこんなにまぶしかったろうか。思わず手のひらを向けると、指の先から一筋零れた。

思いを伝えることは不可能で、感覚のない手で心臓をつかまれるような痛みはあれど、振り払うことはできたはずだ。
じわじわと締め付けられる苦しみが、昨日、素手でえぐりとられるような鋭利な感覚に耐えられなくなった。

互いに心が通じ合うというのは苦しい。
たが、この朝は心地よいもので、見えるものすべてが美しいのだ。
それがすべてなのだろう。

根拠のない自信があって実際に思い通りの日々を送れていたし、余裕のある生活だと思うのは至極当然だと思う。
物心がはっきりとついた時から、周りにできないことが自分にはできるという優越感を感じていた。

優越感というよりも…。
努力をしなくてもたいていのことは難無くこなせたから始末に悪かったのだ。

余裕とは、汗水垂らして物理的、精神的な受け皿を確保した上で手に入れられると思ったのは琴子と出会ってからだ。

琴子の出来なさ加減にあきれるという感情は、それはその実、まま自分の余裕のなさを表していたのだろう。
困難な課題を押し付け、自分に足りないものを示してくれていたのだ。

体裁を繕い、うわべだけの味けのない乾燥した言葉を吐けば困らなかったというのは単なる思い込みで、自分はいままでの人生に道すがら落とし物をしつづけ、それに気付かずにいたのだろう。
穴の開いたポケットは物をいれるのに不適当だと気付かせてくれたのが琴子だと思うのは、惚れているに充分な理由になりえる。

心がなかったわけではないと、取り繕うのはやめよう。
愛情とまではいかないまでも、情はあったと打ち明けられたらどれだけ楽か。
ただ自分のポケットを縫い合わせるのが琴子だと伝えることしかできないのだ。

うだうだと考えたところで、この幸福感はずっと心の奥底で自分が欲していたものなのだから。

張り付く前髪を払い、枕元を見上げる。蛍光灯は切れたようだった。


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二人で、物事を解決していく。自分達に巻きついてがんじがらめになっていた蔓を、二人でそうっと外していく。

西日は秋の長い影をつくり、自分と琴子の背中をついてくる。

朝感じたまぶしい日の光は、生涯、姿を変えては自分達を照らし続けるに決まっているから、そんな根拠のない思い込みは確定事項だと今朝思ったから、金之助や周りを傷つけたと落ち込む琴子をからかう。

二人に関しての自信ならあるのだ。ゆるぎのない自信が。

くちびるをとがらせて、

離婚したらどうするかなんて、結婚する前からそんな話は、だいたい入江くんってやっぱりいじわるなのよ、

矛先が向いて来たから琴子の手をすくいとって話題をそらしてみた。

「ゆうやけ、きれいだね」

「そうだな」

「どこか、寄る?」

「ああ…そういえば、蛍光灯が切れてたな」

「じゃ、買って帰ろうっか!ついでに、なにか甘いものでも…おばさまに」

返事代わりにつないだ親指で琴子の手のひらをくすぐると、ひゃあと間の抜けた声が聞こえた。

 

2008年7月31日

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