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遠く


屋根と窓を叩き安眠を妨害していた雷雨が過ぎ去ると、
澄み切った青い空は入道雲を連れて、遥か高く遠くなっていた。
湿気は不快感をまだ肌に落とすが、それでも、二匹つながったトンボを見ると、やはり秋になったのだと思う。

俺は季節の変わり目にセンチメンタルになるという思考は持ち合わせていない。
ましてや、クラスメイトは尚の事。
高校最後の夏休みは、受験勉強の追い込みのスタートであり、寝ても冷めても、と、文字通り勉強漬けの毎日が当たり前なのだろう。…他の奴らは。

まだ夏の勢いのままの緑を残し、通学路はあやふやな季節の始まりを告げるべく、およそ一ヶ月ぶりの賑わいを見せていた。

「おう、入江」

「おう、渡辺…白いなあ」

「ずっと予備校で缶詰だったからなぁ。ま、入江には関係ねえだろうけど」

「まあな」

久しぶりに会った渡辺は、頬骨がうっすらと浮き出ており、随分と痩せこけて見えた。
自分から声をかけてきた割には、話題もないようで、二人並んで無言で校門へと足を動かす。

「…俺、別れたんだ」

重たそうな鞄を持ち直すと、ぽつりと渡辺がつぶやいた。

「…ああ、あの彼女と」

「"受験と私どっちが大事なの"って言われちゃったよ」

「そりゃ、きついな」

女は常に自分を大切にされたがる。
自分だけを見て欲しいと、ごねて泣く。
俺は心底同情し、そしてそんな女と付き合っていた渡辺を心の中で蔑んだ。

「一個下だと、なかなか現実として…理解してもらうのは難しいよな。…休みの間に別れたんだ」

「まあ…元気出せよ」

「お前、なんとも思ってないだろ」

渡辺はにやりと笑うと鞄を振り回し空を見上げてつぶやいた。

「…秋だなぁ」

「秋だな」

「…お、相原さん?」

空を見上げたまま後ろ向きに歩いていた渡辺が声を上げた。
首だけ後ろを見ると、髪の毛を振り乱してこちらへ駆けてくる相原の姿があった。

「あいつ…」

「い、い…入江くーん!」

あいつの迷惑にもなかば慣れた所で、やはり人ごみで名前を叫ばれることには堪える。
俺の顔を認めて笑顔で近づいてくる相原に背を向け、俺は通学路を進んだ。

「そういえば、お前ら一緒に登校してこないんだな」

ちらちらと後ろを気にしながらも俺に同調して隣を歩きだした渡辺が、相原への同情心半分、俺への同情とからかいを込めて尋ねてきたのが見て取れた。

「そんな義理、ないから」

「入江くんってば!」

「…なんだよ」

いつの間にか追いついてきた相原が、肩で息をしながら近づいてくる。

「あ、相原さん、おはよう」

「あ、あー!おはようございます、えっと…」

「入江と同じクラスの渡辺です、相原さん」

「あ、は、はじめまして…」

「よく見かけますよ。相原さん、いつも入江に全力投球してるから…」

「えへへ」

バカ二人が笑いあう。心底バカらしくなって、俺は二人を置いてとっとと歩き出した。

「渡辺、行くぞ」

「え、待ってよ、入江くん」

相原が俺の鞄を両手で引っ張った。取っ手の金具がみしりと音を立てる。

「なんだよしつこいな、用なんてないんだろ」

相原の手から鞄をひったくり、パンパンとほろった。

「昨日写させてもらった数学のテキスト、いつのまにか入江くんのがあたしの鞄に入っちゃってたのよ」

「はぁ?」

「で、あたしのテキストが、…多分入江くん持ってると思うのよね」

昨晩のくだらないやりとりが頭をよぎる。まったく、なんでこんなやつのために俺の解答を写させてやったんだ。

「…ほら、俺の返せよ」

俺は鞄の中から件のテキストを認めると、相原の目の前に突っ返した。

「…昨日は、ありがとう、ね」

「いいよ、もう」

男女が二人、通学路で鞄をまさぐるとやはり目立つのか、追い越していく生徒がさぞおかしそうにちらちらとこちらを見やる。
また噂の種をばら撒いてしまったようだ。もう慣れてきたけれど。

「なんかあったの?」

渡辺までもが首をつっこんでくる。はたから見れば俺たちの関係は教員ですら耳打ちをしてくるくらいだから、興味をそそる存在なんだろう。

「渡辺は知らなくていい」

「…渡辺さん、ちょっと、痩せました?ちゃんと食べてますか?」

眉毛を八の字にして、相原が渡辺を見上げ、 背伸びして手のひらを渡辺の額に当てる。
渡辺はあわてたようにこちらを見、す、と相原の手から逃れるように身をひねった。

「わはは、相原さんまで…。ちょっと、ね。勉強のし過ぎと振られたのと…相原さんは強いよなぁ」

「えっ、振られちゃったんですか?いつまでも引きずってちゃダメ!そう!残念会よ!残念会しましょう!」

「残念会…」

「甘いものを思いっきり食べて、辛いことを忘れるの!」

「お前は忘れるの得意だもんな」

「うっ…。と、とにかく!ね、入江くんも、今日はパーッと食べに行こうよ」

「入江と遊びに行きたい口実?」

「わ、渡辺さん!けしてそんなんじゃ…少しだけ…」

「あははは、相原さん、本当に面白いなぁ。HR終わったら、A組おいでよ、な、入江付き合えよ」

「俺は嫌だ」

「慰めてくれよ、入江〜」

「入江くんって、お友達が落ち込んでる時もなんにもしてあげないの?鬼!冷血漢!悪魔!」

「…わかったよ」

「やったぁ!」

「じゃあ、相原さん、後でね」

「うん、渡辺さん、じゃあね!」

相原が腕をブンブンと振って校門に駆けて行くのが見えた。
周りの奴らが次々と声をかけ、それに笑顔で答えていく。
相原という奴は、強引で単純で、その情の深さが人を惹き付けてやまないのだということを同居してからの5ヶ月で学んだ。
俺にとっては、邪魔で面倒な感情ばかりを見につけているようにしか見えないが。

「…相原さんって、かわいいよな」

「ふーん」

「い…いやっ」

「まさか渡辺も、女なら誰でもいいっていうタイプだとはな…」

「いや…。お、呼び鈴鳴ってるぞ、入江、急ぐぞ」

自分達の横を駆け足で行き過ぎる人の波。それに追いつかんと、俺たちは校門へと急いだ。

****************

「さあて、どこ行く?」

廊下に仁王立ちで立つ女がいる。
ひと気のいなくなった廊下で、壁に背をつけて俺と渡辺が並んだ。

「どこでもいいよ、相原さんのオススメのところで」

「めんどくさいから早くしろよ」

相原は顎に手をやり、少しの間思案するとおもむろに口を開いた。

「ねぇ…暑くない?」

****************

9月とはいえ、蒸し暑い。
昼近くになり、日が高くなってくると、風がぬるくなる。
だから、こんな日は図書館に寄り、涼しいところで英気を養ったり、いっそ部活に顔を出して思い切り汗をかく。
自然には逆らえないのだから、人間はそれにうまく対応していくしかないのだ。

「うわぁ、溶ける溶ける!」

「渡辺さんも、それかなり危険かも!早く食べちゃわないと!」

渡辺と相原がいまにも崩れ落ちそうな棒つきアイスを手にはしゃいでいる。
俺はそれをちょうど日陰になっているところに座って眺めていた。

「なんで、外でアイスなんか…」

「はいふいっへはのしふはい?」

「…食ってから話せよ」

コンビニの入り口ではしゃぐ男女は、まるでカップルにしか見えない。
まあ、そんなことはどうでもいいが。

「買い食いって、楽しくない?」

アイスを食べきった相原が、こめかみを抑えながら俺の横に座った。

「済んだなら、俺もう帰りたいんだけど」

日陰とはいえ、背中にじっとりと感じるものがたまらなく不快だった。

「入江くんも、食べれば良いのに。アイス」

「いやだ」

背骨のくぼんだところを、じとりと伝うものがある。

「入江、無理すんなって」

額に張り付いたものが、眉という防波堤を乗り越えて、睫毛に落ちてきた。

「…買ってくる」

「何買うの?」

「…ガリガリ君」

「あ…あたしももう一つ食べたいなー、なんて…」

「入江、俺も」

「おまえら…」

「えへへ」

俺は鞄から財布を取り出すと、額の汗をぬぐいながら分厚いガラスの戸を引いた。

****************

今度はしょっぱいものが食べたいという相原の言葉に渡辺が同調し、半ば引きずられるようにしてファストフード店へと連れてこられた。
もはや元来の目的など忘れたかのようにはしゃぐ二人は、やはりどこからどう見てもカップルにしか思えない。本当にどうでもいいが。

「100円のぉ〜、コーヒー3つと、ポテト3つください」

頭の悪い奴はまず最初に値段を言う。下品で程度の低い奴らのすることだ。

「座ってるから」

渡辺に耳打ちすると、ざわざわと騒がしく乱雑に置かれたテーブルと椅子をかきわけ、俺は奥のソファに急いだ。

制服のスカートをギリギリまで短くして足を広げて座る女や、ノートパソコンで書類を作るスーツ姿の大人、買い物カートを脇に噂話にいそしむご老人をぼんやりと眺めていると、三人分をのせたトレイを危うげなバランスで運ぶ女が近づいてきた。

「おまたせしました〜」

テーブルにトレイを置くと、相原は、よっこいしょと色気のない声を漏らして俺の目の前に座った。

「おせーよ」

「まあまあ、ここは俺のおごりだから」

渡辺が、俺の横に腰かけて助け舟を出す。

「お前の残念会なのに、なんでお前が金出すんだよ」

「え…えっと〜」

「どうせ、定期代出したら意外と金が入ってなかった…とかだろ」

「さすが入江!」

「本当だね、さすが入江くん!」

二人は手を取り合って感心している。
夏休み中、ずっと室内に篭っていた渡辺よりも、相原の手はずっと白く透き通って見えた。
皮膚に青く浮き出る血管を一瞥すると、俺はポテトに手を伸ばした。ひどく塩がきいており、舌に痺れがくる。
中和させようとコーヒーを口に含んだ。香ばしさが広がる。すうと疲れまでもが中和されていくようだった。
値段にしては、味がしっかりしている。

そのままソファにもたれる。渡辺と相原、二人の会話が遠くに聞こえる。
そのうち、コーヒーを飲み干したらしい渡辺がテーブルにひじをつきながらこちらを向いた。

「ちょっと、俺トイレ行ってくるから」

「トイレ、ここを出て無印良品の向こう側にあったよ」

「相原さん、ありがとう」

渡辺は鞄を肩にかけると、笑みを浮かべながら立ち上がった。

「ここ、二杯までおかわり自由だから」

****************

嫌な予感はしたが、それっきり渡辺は帰ってこなかった。
さすがに相原も今の状況を悟ったらしく、言葉数が少ない。

「コーヒーも飲んだし、俺帰るわ」

「えっ、えっと、おかわり、おかわりしてくる!」

「もう二杯飲んだだろ、ったく…」

「えへへ、そうでした〜。あ、でもポテトがまだ…」

ポテトの袋をさかさまにして、相原は指で中を探っている。白い指に、ギトギトに光った油と塩粒がこびりついていた。

「あさましい…。俺は帰る」

「えっ、待って待って、あたしも帰る!」

立ち上がりトレーをひったくると、相原はあわてたように椅子を引いた。
勢い、スカートが裏返る。ちらりと見えた太ももは、手よりもずっと白かった。

「今日も無駄な一日だった」

「えへへ…。でも、コーヒー美味しかったよね?」

「気のせいだろ」

トレイごとダストボックスに手を突っ込むと、茶色のコーヒーの雫が手の甲に線を引く。
先ほどの相原の手の白さが思い出される。
電球の光に隠れ、テニス焼けした自分の手がより黒く見えた。

 

2008年9月2日

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