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まだ?

 久しぶりにまとまったお金が入ってくる今日、あたしは待ちきれず、朝五時に起きた。昨日は酔っ払ってまとわりつく僚を振り切って九時には自分のベッドに横になった。遠足前日の子供のようにわくわくしてろくに眠れなかったけれど、目覚めは爽快だった。あ街は閑散としていて、すれ違ったのは犬の散歩をするご婦人ただ一人だけだった。行きかう車も少なく、夜勤上がりであろうタクシーが何台か、スピードを上げて通り過ぎていく。窮屈そうに植えられた木を見上げると、朝露に濡れた葉が、日の光に反射して美しい。新宿ではない、どこか違う人里離れた町に迷い込んだのではないかと思うほどに早朝の新宿は静まりかえっていた。
 新宿は「眠らない街」と言うけれど、繁華街を外れれば勤務上がりのホストやホステスも見当たらない、ありふれた街並みがあるのだ。何年も住んでいるというのに、何も新宿のことなどわかってはいなかった。平成不況といわれて久しい。もしかすると、新宿をはじめ、世の中が時代とともに移り行く過程に、あたしたちはいるのかもしれない。
 コンビニに寄り、何を買うでもなく時間をつぶしてから銀行に行ったというのに、まだ七時をすこし回った頃だった。当然一番乗り。コンビニに戻って何か飲み物を、とも思ったけれど、財布を開けると五十円玉ひとつと一円玉が寂しい金属音を立てていて、あたしは膝の力が抜けてしまった。天下のシティーハンターがこれほどまでに金欠だったためしがあるだろうか、と一秒考えて頭をぶるぶる振った。いつもどおりとまではいかないけれど、一年に何度かはこういう羽目に陥ることを瞬時に思い出してしまった。情けなくてため息がこぼれる。
 まったくの無一文というわけではないのだ。僚は最近は、「ちょっと仕事」と一人で出かけては埃まみれになって帰ってくることもあったし、そういう時に手渡されるのは、昔ながらの茶封筒。一目見ただけでわかるくらい膨らんだそれは、あたしの関知すべきところではない類の報酬だ。あたしと僚が同じ部屋で朝を迎えてしばらくして、あたしに預けるようになった味気のない封筒やむき出しの札束には、手をつける気にはなれなかった。殺しが生むお金を受け取れない時間はとうに過ぎた。僚には僚独自のつながりがあって、あたしとパートナーを組む前からもずっとそうやって生きてきたのだから、ともに生きると互いに確認しあうずっと前から、汚いお金だとは思わなくなっていた。随分と分かりのいい女になってしまったのかもしれないけれど、僚と暮らしていくということは、何事にも折り合いをつけなければならない。茶封筒や札束は手をつけずに金庫にしまう。聞けば、僚もあたしに見つからないよう、家の奥まったところにある金庫に投げ入れていたらしい。殺しで得た金は武器庫の維持のために使われていたのだという。銀行などに預けていては、急な物入りの時に命にかかわる。だからあたしも、僚に倣って同じ行動をとることにしたのだ。生きるために必要なのだから、二人で生きていくと決めたのだから、あたしはそれを守るためにすべきことを精一杯考えて遂行するだけ。恋人というには馴れ合いすぎて家族というにはそっけないあたしたちだけど、少なくとも同じ方向を向いているというだけで心があたたかさで沁みるのは、惚れた弱みだろうか。

   ***

天使のごとく微笑む窓口のお姉さんから貰う報酬には、いつもながら軽い高揚感を覚える。今なら世界の王になれると少しだけ浮かれてみる。ツケを腹ってもまだあと三ヶ月はゆうに暮らせる札束を見ると、はしたなくもにやけがとまらないし、物欲もふつふつと沸いてくる。ちょうど季節の変わり目ということもあり、あたしは頭にただひとつの目的を持って家路へと急いだ。

  ***

「まだかよ……」
 僚をたたき起こして向かったのは、人ごみでごった返す新宿駅前。今まで我慢していた分、タガが外れたかのようにあたしは服を見て回った。
「うるさいわね、ちょっと待ってよ。あーん、あれもいいなぁ」
「もうかれこれ三時間経つぜ……、俺腹減った」
「だって、目移りしちゃって。元はといえばあんたが選り好みするから」
「俺のせいだって言うのかよ……。だったら女の依頼人捕まえて来いっつぅの」
 僚はぶつぶつとつぶやくと、大量の紙袋を抱えてあたしに背を向けた。
「帰る!」
「はぁ? ちょっとぉ」
「付き合ってらんねぇよ。荷物置いたらナンパしてこよっと」
「ばかっ」
「んじゃ、ごゆっくり」
「まだ見たいところたくさんあるのにっ」
「俺のせいじゃないだろ」
「んもう、待ってってば!」
 服を引っ張ろうとするあたしの手をすり抜けて、僚は人ごみに消えた。
「シカトするなぁっ!」
 待てといわれて待つ泥棒はいない。叫んでもどうにもならないのだ。あたしの叫び声は雑踏にかき消された。

   ***  
「……まだ?」
「うっせ、ちょっと待て」
 久しぶりに大量の食糧を買い込んだので、豪勢な夕食になった。ガス代もきにしなくていいから、長風呂も心置きなく楽しめる。充分に世間で言うところの「給料日」を満喫したあたしは、油断した隙に僚にひっつかまった。予想はしていたのでいまさら驚きはしないけれど、身体を余すところなく触れられて僚のぬくもりが消えてから10分は経っている。もういろんな意味で限界なんだけれど……。
「なんかもう眠くなっちゃったかも……」
「暗くて付けづれえんだよ……。元はと言えばおまえが」
「か・お・り」
「……くっそ、かわいいかわいいカオリチャンが! 真っ暗じゃないと嫌だの言うから仕方なしに付き合ってやればこのザマだ」
「……あたしのせいってこと?」
 一度性的興奮を覚えたら、発散しなければ男はたまったものではないというし、一度性欲に火がついた僚といったら抵抗する気もうせるけれど、少なくともあたしは女で、僚とは違う。ムードだとか、会話だとか、ほんの些細なことで欲が消える。そして今、あたしの心は醒めきっていた。まるでもう一人の自分がいて、あたしたちを遠くから見ているような気さえする。
「寝る!」
「はあ?」
「お、や、す、み!」
 立ち膝でなさけなく全裸の後姿をさらしている僚をよそに、あたしはそこらじゅうにくしゃくしゃに投げ捨ててあったパジャマをすばやく身に着けて、海老のようにごろんと丸くなってシーツを引っ張りあげた。
「はあ?」
「寝たら?」
「くっそ……。すねるぞ」
「……それもあたしのせい?」
「いやいやめっそうもない! ほら、そうこうしているうちに準備が整いましたよぉ」
 うだうだと機嫌をとってくるリョウをシカトしていたら本当に睡魔が襲って来た。
「おおーい、香ちゃん……」
 僚の声が遠ざかっていく。
 夢の入り口で、僚の顔が浮かんでは消える。そういえば、あたしたちってば、朝から同じような会話を繰り返している気がする。気の、せい、かな……。

2011年6月7日up

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