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ふたり

0806, am

自分達には決まり事が多すぎではないかと、直樹は思う。
いや、正確には「決められ事」だ。

直樹は琴子とオフの日をついて話し合ったことは一度もない。
だが明日と明後日が二人とも休みなのは絶対にたまたまではないということも、よくわかっていた。

つまり、この休日もこの本屋の雑誌コーナーで立ち読みしている…

「琴子っ」

「あ、入江くんお疲れ様ー。今日は早かったんじゃないっ?」

「早かったんじゃない、じゃない!おまえ、明日明後日休みなんだって?」

「えー、そうだけど、なにか問題でも」

「いつも二人揃って休むといろいろあるんだよっ」

「いーじゃーん、夫婦なんだしー」

「…帰るぞっ」

「えっ、ちょっと待って、この漫画読み終わってからっ」

「…俺は当直明け」

読みかけの雑誌をバタンと勢い良く閉じ、琴子はにやりと笑みを浮かべながらゆっくりと直樹に向かい合う。顔を覗き込みはずむような声で言った。

「あたしも夜勤明けだけど、だからここにいるんじゃないのー。勤務明け、人知れず二人は本屋で落ち合うの。そして雰囲気のいいバーに…」

次第にうっとりと自分に酔い始める琴子の背後に、白い薔薇が舞う。
この本屋で毎度のように繰り広げられるコントに、店員はおろか客さえも見向きもしなかった。

「…で、ナースとお医者様の〜」

このままでは斗南病院に通報されてしまう。
直樹は琴子のおでこを軽くはじいた。

「で…あ痛っ」

「昼飯、ファミレス行く?」

「行く!!」

食欲というものは恐ろしい、適当に言ったつもりが今回の休みは思いがけず安く上がりそうだ、と直樹は安堵した。
のが運のつきだった。

「あ、入江くん、ちょっと待って」

本屋の入り口の旅行パンフレットコーナーの一角に琴子は釘付けになった。
あたしこそ天才ではないかと思わず涙がこみ上げてくる。思わず天を仰ぎ自分がいかに幸せかを叫びたくなった。この休みを直樹と共に過ごすために、最良の方法を見つけたのだから。

「入江くんっ、七夕しない?」

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0806, around noon

琴子と直樹が入ったファミレスは、偶然にも昔二人がアルバイトをしていたチェーン店のひとつだった。琴子が美化された思い出に浸っていると、直樹がトントンとタバコでテーブルを叩く。

「で、七夕がどうしたって?」

「あ、入江くんめずらしいんだー。タバコ吸うの?」

「…吸いたくもなるよ。で?」

「これこれっ!」

ジャーンという効果音を口に出しながら琴子がテーブルに広げたのは、仙台七夕まつりのパンフレット。

「なんと!仙台では!まだ七夕は終わってなかったんですー!」

「ああ、仙台の七夕まつりは月遅れらしいな」

「んもう、難しい話は抜き抜きっ!」

「…一人旅?行ってらっしゃい」

直樹にはこの先の展開が読めていた。読めないはずがない。何年こいつのだんなをしていると思ってるんだ。とりあえず話は聞いてやろう、とタバコに火をつける。

「うわっ」

「なんかすっぱいよ!入江くんっ」

火はフィルター側を燃やし、焼けたゴムのような不快な臭いを出したためグラスをひっつかんで水をかける。ごくたまにしてしまうミスを琴子に見られたことは、体がむずがゆく恥ずかしいような気持ちがして、直樹は懸命に火を消すことに集中した。とっくに火は消えていたけれど。

「入江くんって、時々天然だよね…」

直樹はこの場を早く取り繕うことしか考えられなくなってきた。最近とみに、琴子に対して『素』以上の自分を見せていることがあり、その数々がよみがえる。
その上今はなにかからかわれている気がして、思考はとっとと御飯を食べて帰ることと、休日二日間にどんな本を読むかにシフトした。

「あっ、ごめんごめん、えへへへへ」

直樹の眉間に皺がよるのを琴子は見逃さなかった。せっかくの名案がパーになっては元も子もないのだ。デートもままならず、すれ違いの多い日々を送っていた琴子にとっては、千載一遇のチャンスが巡ってきたのだから。ここで直樹の機嫌を損ねるわけにはいかなかった。

「…で」

「今日の夜から、二人で仙台に」

「いやだ」

「んもう、話だけでも聞いてよ、ねっ」

お約束として形式だけ嫌がってみるが、どうせ行くんだろうと、本屋を出た瞬間から直樹はあきらめていた。拒否しても母である紀子がでしゃばってくるのは目に見えている。直樹は改めてタバコを取り出した。

「あと牛タンは外せないわっ」

「ギュウタン〜?」

「仙台名物の牛タンよっ!」

我ながら急だけど、めったにないチャンスに琴子は色めきたった。久しく旅行に行っていないから、直樹は多分オーケーするだろうと思っていたし、ダメだったら義母・紀子に援護してもらうという最後の砦がある。

「仙台のね、駅前に、笹飾りがわーって並ぶんだって!きれいだろうなぁ、織姫と彦星が年に一度の…七月にも会ってるけどっ!そうじゃないのっ!だってあたしたち七夕は二人とも仕事だったじゃないっ」

「飾ってあったじゃん、病院に」

「…。ねぇ、ダメかなぁ?二人で旅行したことってないじゃない?秋田の時は、旅行っていうより帰省ってかんじだったし、おとうさんもいたし…」

琴子はとっておきの切り札を出すタイミングをはかり、直樹はまたあの言葉が出てくるだろうと思っていた。そして店員はメニューを取りに行くタイミングをはかっていた。

「…子供が出来たら、あんまり二人で旅行できなくなるよ?」

「…そうだな」

「ご注文お伺いしまーす!」

結論が出るまでが長い。長すぎる。
その思いは三者に共通していた。
ファミレスに入ってから30分経った頃だった。

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0806, pm

「今日の夜って、急なのねぇ」

「はい、おかーさん、思い立ったら吉日ってねっ」

「まぁ、うふふ」

琴子は紀子にさんざんのろけ裕樹にバカにされた後、二人で荷物をつめていた。

「琴子ちゃんっ、七夕ですからねっ」

「そーですよおかーさんっ!恋人のための日!キャー」

「ね!」

「え?」

「だ・か・ら!!七夕ベイビーよっ!琴子ちゃんっ」

琴子の手がはたと止まる。紀子の孫を待ちわびる気持ちは結婚する前から大いに感じるところがある。が、紀子からはそれ以上に直樹との関係をつっこまれるからやはり琴子は慣れないのだった。紀子がせめて同年代の友達であったなら、と思うこともある。だが自分の愛する夫、そして自分を優しく見守っていてくれるすばらしい義母がいてくれる幸せは何物にも変えがたい、と琴子は常日頃思っているのだ。

「えええ、えええっと」

「おにーちゃんには私から言っておくからっ!おにーーーちゃーーーん?おにーーーちゃーーーん?」

紀子は荷物を放り投げると声と共に階下へ消えていく。あっけにとられている場合ではない。

「時間時間っ」

西日の照り返す昼が暮れようとしている。今日も暑くなりそうだった。

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0806, around evening

「つ…着いたー!」

戦後著しい発達を遂げた日本は、スピーディかつ安全な新幹線という乗り物を手に入れた。そのおかげで快適な旅が出来る反面、ビジネスマンの憂鬱は深く、そして直樹の手荷物は重かった。

「おまえ…一泊の旅にどんだけ荷物持ってきたんだよ!」

「コンパクトでしょ?こないだ通販番組で見た圧縮袋でー」

「こないだって…、こないだ初めて見たような口調だけどもう十何年見てるぞっ」

車内からホームへと降りると、熱気がたちこめ湿り気が不快感を誘う。
東北といっても夏は暑い。

「入江くんってテレビっ子だったのぉ?」

続いてホームへ降り立った琴子はショートパンツのいでたちだか暑かったようで、チュニックの中に風を取り入れるべくパタパタと布地をつかんでいる。

「…」

「ささっ、まず腹ごしらえしよう!」

とっぷりと暮れている仙台の夜を満喫しようと、JR仙台駅にはラフな姿の観光客と地元から集まった浴衣姿の若者が行きかっていた。
ざわざわきゃあきゃあと楽しげな人々の笑い顔が、同じくハーフパンツにTシャツという軽装の直樹の空腹を刺激した。

「そうだな、やっぱり」

「牛タン!」

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0806, evening

二人は荷物を抱えて、笹飾りが道を彩る仙台の街を、走っていた。

「もう十時過ぎだなんて!」

「そりゃ、仙台に着いたのが八時半過ぎてたからな、ゆっくりしてりゃこうなるよ」

直樹は腕時計に目をやった。駅前の通りは人ごみと笹飾り、露天ときらびやかに彩られ、琴子ではなくとも目を奪われる。時間を忘れて食い入るように見入ってしまった結果、二人は食いっぱぐれる危機に直面している。
どうせならと調べておいた"知る人ぞ知る地元の名店"は、材料が品切れを起こすと店を閉めてしまうということをすっかり忘れていた。

「食ってから見るべきだったなぁ」

「調べておいた牛タン屋さん…きっともうしまっちゃってるっ」

「しゃべるな、余計な体力使うな、とにかく走れ、いや、止まれ」

電話して予約しておけばいいじゃないか。街並みと同調して浮かれていた自分を恥じ、直樹は携帯電話に手をかけた。

「あと二人なら大丈夫?…あと五分後ならなんとか…?」

「いそごっ」

「あ…はい、じゃ、またの機会に…」

パチンと音を立てて二つ折りの携帯電話が直樹の手の中に納まる。いやな予感がする。多分それは的中している。琴子は確信した。

「今お客さんが来たから、今日は終わりだって」

「やっぱり…」

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0806, around late evening

「…で、結局こうなるのよね」

二人は昼間と同系列のファミレスに入り、気力と体力を補充していた。

「うまいじゃん、肉」

「うう…。でもいいんだ!二人で旅行なんて嬉しいな。明日帰るのなんてもったいないくらい」

付き合わせてしまって、結局はいつもこうなるのだ。琴子は直樹の優しさに心底申し訳なさを感じていた。直樹といられればそれで良いのだから、この強行スケジュールに付き合ってくれたことが嬉しく笑みがこぼれた。

テーブルには、勢いで注文したハンバーグプレートとドリンク、スープ、サラダ、デザートがそれぞれ二種ずつ、所狭しと並んでいる。職業柄食事にかかる時間が早いこともあり、二人は届いたそばから胃に流し込んでいる。

「そういえば」

「なーに?」

デザートに、と「七夕まつり期間限定・チョコマンゴーサンデーパイナップル風味」にとりかかっていた琴子が顔をあげる。

「今日のホテルだけど」

「あ、そうよね、新幹線は運良く取れたけど、ホテルがまだなんだったよね、でっでもどこか空いて…」

「さっき電話かけてみたけどどこも満室だったから、」

「から…?」

琴子のスプーンがカチカチと器を鳴らす。直樹はコーヒーを一口飲み、ふっと笑みを浮かべた。

「にぎやかなほうがいいだろ?」

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0806, around midnight

「…で、昔は全国でやってた七夕まつりも、戦争で衰退していったらしい」

「なんだか、あまりよく知らなかったから申し訳ない気持ちが…」

サイドテーブルに置いてあった「仙台七夕の歴史ハンドブック」を手に、直樹はベッドへ転がった。

「最近のラブホはサービスがいいなぁ」

「ラブホとか言わないでっ!!初めて入ったんだからっっ」

「プールでも入るか?」

部屋の端のソファで体を硬直させながら琴子が叫んだ。

「なんか、無駄に豪華なのよこのホテル!」

部屋は間接照明に彩られ、物と物とのふちどりがぼやけて美しい。大きなベッドが贅沢にかわいらしいレースで飾り付けられていることも、部屋に二人きりなことも自室と変わらないのだけど。ぼんやりとしたオレンジやピンクの照明にレースが透けて艶かしい影を作っていて、目を開けていられない。琴子は気恥ずかしさがこみ上げ身の置き所がなくなっていた。

「堂々としてるんだもん、入江くんってやっぱり…」

「やっぱり、何?」

「わわわわわ!」

目を開けると迫ってきた直樹の顔に、琴子は飛び上がらんばかりに驚いた。

「子供が出来たら…」

引き寄せられ降りてくる吐息に身を預け、琴子はうっとりと直樹の言葉を聞いていた。

「来れなくなるだろ?」

小さな音を立てて触れた直樹の唇がにやりと笑って言葉をつむいだ。

「でも子供が出来てからのほうが来る機会が増えるかもなぁ」

「え?なんで?」

「子供が大きくなって、」

直樹の手が琴子の背中をさする。琴子の髪を掬い上げぎゅっと握って言った。

「…見せ付けたら教育に悪いし、な?」

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0807, around noon

窓の外、プラットホームには相変わらずの人だかりが出来ている。
琴子と直樹は大荷物を引きずりながらやっとの思いで新幹線に乗り込んだ。
それぞれの荷物を寄せ、シートに体をねじ込ませるように収まる。

「笹飾りも沢山写真にとれて、それなりに楽しめたけど…」

直樹の左で、大きな土産品の袋に埋もれ、琴子はしみじみとため息をついた。

「…牛タン食べたかった」

「まだ言ってるのか」

「花もいいけど団子も好きなのっ」

「俺は楽しかったよ」

同じく土産物と荷物に囲まれた直樹が、ペットボトルの蓋をひねり一口、二口とゆっくり喉を潤す。
いやがおうにも炭酸がはじけながら甘ったるさを伴って胃へたどり着くのを感じるから、達し寝入る前のまどろみの心地よさを思い出した。

「満喫したしな、夜」

「よっ、夜って!」

「俺のカンでは」

「ん?」

「まだだろうな」

「…まだかぁ」

琴子はこつんと直樹の肩に頭を置き「まだ二人でいいかも」と小さくつぶやく。それを合図とするかのように新幹線がゆっくりと動き出した。

2008年8月6日

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