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フール・ウィズ・ハニー

 

 メレンゲを泡立てる腕に力がこもる。

「琴子ちゃん、メレンゲ……あらぁ、上達したわねっ、琴子ちゃん!もうこんなに泡立ってるわっ」

 一年ぶりにあの日がやってくる。あたしはどうも考え方がまっすぐで、悪く言うとバカ正直。だからいつも入江くんに騙されっぱなしだ。今年こそ、入江くんをぎゃふんと言わせたい。

「お義母さまっ!ちょっと、お話が……」

 オーブンの余熱具合を思案していたお義母さまが顔を上げて微笑んだ。

「どうしたの?」
「あ、あたしっ、今年こそ入江くんを騙したいんです!」

 泡立て器を放り出してお義母さまにすがりつくと、お義母さまはにっこりと笑ってポンと手をついた。

「あらあ、明日エイプリルフールだものねぇ……簡単よ!」
「えっ」
「赤ちゃんが出来たって言えば良いのよ!」
「……そのウソはあとでばらした時に叱られそう」
「あらそうかしら」

 あたしはエプロンで手を拭き椅子に座った。泡立て器を手に取り、メレンゲを持ち上げてポトンと落とす。今まで入江くんに騙された悔しい出来事を思いだすと、やりきれなさがこみ上げてくる。

「お義母さま……あたし、今まで政治家になるとかレアルマドリードからオファーがきたとかで散々騙されてきたんです!!」
「騙されすぎよ、琴子ちゃん……」

 お義母さまも椅子に座り、肘をついてうんうんと唸っている。

「"宇宙旅行が当たった"とかどうかしら」
「バレバレだと思いますよぉ……」
「うーん、そうねぇ……なんだか勉強は出来る子だものねぇ」

 居間から音が聞こえる。ニュースをつけていたはずが、ギターやドラムの音に混じって歌声が台所まで響いてくる。あたしは考えに集中したくて席を立った。

「テレビ、消してきますね」
「ちょ、ちょっと待って琴子ちゃんっ!」
「えっ」
「ちょうど今テレビで音楽番組が流れてるじゃない?あたしピンときたの!」
「えっ」

 お義母さまのキラキラした笑顔に、あたしはまた椅子に座った。お義母さまが身を乗り出して、それから少しだけ疑るような顔であたしを覗き込んだ。

「……ねぇ、あたしには信じられないんだけど、琴子ちゃんから見て、やっぱりおにいちゃんってかっこいいと思うの」
「は、はい!それはそれはもう超絶かっこいいですよぉ!」
「じゃ、勝手にジャニーズに応募したら受かった、とかそういうのはどうかしら」

 入江くんは高校からずっとあたしたちのアイドルだった。お義母さまのアイディアはちょっと突飛な気もするけれど、かえってその方が信憑性があると思わせるかもしれない。

「いいかも!……でも騙されてくれるかなぁ」

 腕を組んで首をひねっていると、お義母さまは、がしっとあたしの肩を両手で掴んで、楽しそうにあたしの肩を揺さぶった。

「大丈夫よ!おにいちゃんって案外単純だし」


***


 あたしはわくわくしすぎて眠れない夜を過ぎて、今日のこの日を迎えた。目を開けると入江くんはまだ寝息を立てている。眠っている時は本当にあどけなくてかわいいとさえ思うのに、あたしを見るときはいつも怒った顔や呆れた顔を向ける。この顔が、今日はどんな驚いた顔を見せてくれるかと思うだけで高鳴る鼓動を抑えられなくて、あたしはすばやく着替えを済ませて居間に向かった。

 
「か……帰ってきたらちょっとお話があるの」

 お義母さまに目で促されて、あたしはもくもくとトーストをほおばる入江くんに声をかけた。

「今言えよ」

 入江くんはコーヒーでトーストを流し込むと、新聞に手をかけた。

「ちょっと大きな声じゃいえないから今晩、ねっ」
「……まぁいいけど、ズボンのチャック開いてるぞ」
「えっ」

 新聞をめくりながら、入江くんは肩をふるわせた。隣で裕樹君もニヤニヤと笑っている。

「……単純だな」
「だ、騙したわねっ」
「騙されるほうが悪い」
「なによぉっ」

 新聞を取り上げようとすると、入江くんは手に持ったそれを高く掲げて席を立った。

「まぁまぁ」
「……バカ琴子」
「うるさいっ」
「まぁっ、裕樹、おねえちゃんにそんなこと言わないのっ」

 裕樹君にもバカにされてしまった。頭に血が上ってどうしようもないあたしに、お義母さまがささやいた。

「今日の夜、仕返ししてやるのよっ」


***


 お風呂から上がって部屋に戻ると、入江くんはいつものようにベッドで本を読んでいた。あたしは意を決して、入江くんの隣にもぐりこんでうつむいた。

「あの、あのね」
「なに」
「朝言ってたことなんだけど」
「……ああ、なに」
「じ、実はね、お義母様が勝手に入江くんの写真をジャニーズに送ったら、受かっちゃったみたいなの」

 拍を置かず一息で言うと、耳元でどくどくと鼓動が鳴るのが分かった。あたしはそれを悟られまいと、必死に真剣な顔をして眉を寄せ続けた。

「はぁ?なんだよ、ジャニーズって」
「えーと、歌って踊るスター……?」
「……ふぅん」
「ど、どうかな」
「……3点」

 入江くんは音を立てて本を閉じると、呆れたような顔をしてためいきをついた。

「へっ」
「そんな見え見えのウソに引っかかるわけないだろ」
「……ウ、ウソじゃないもん!ジャ……ジャニーさんから直々に電話があってYouならやれるって言ってたもん!」
「……もういいよ、それに知ってたか」
「えっ、なにを」
「エイプリルフールって午前しかウソついちゃいけないってこと」
「えええええっ」

 身振り手振りで必死に騙そうとしていたあたしは、入江くんの言葉に頭が真っ白になった。あたしは今日の日のために頑張ってきたのに、結局朝入江くんに騙されただけ……。

「……」
「……」
「……えへ、へ……」

 脱力感があたしを襲う。ごまかそうと笑った声が、部屋に響いて、余計にむなしさを感じた。

「……」
「ね、寝よっか、あはは」

 今年も負けてしまった。ごめんなさい、お義母さま。あたしが布団をかぶろうとすると、入江くんに引き寄せられて強引に唇をふさがれた。耳元でためいき混じりに「バカ」とささやかれて、悔しさが消えていく。あたしがうっとりとしているといつの間にか部屋の電気は消されていて、あたしは再び目を閉じた。

 

2010/3/11脱稿 2010/4/1ブログup

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