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白い街


12月の医療機関はどこも人であふれている。

直樹と琴子の勤める斗南病院とて例に漏れず、待合ロビーは、処方箋を手に足早に外へと向かう人や、手を引かれ咳込みながら院内へと滑り込む子供らでごった返していた。

この時期ロビーには、いつのころからか、大きなクリスマスツリーが設置されるようになっていた。

琴子が勤め始めた頃はなかったように記憶しているから、それほど長く置かれているわけではないのかもしれない。

「クリスマスイブかあ」

今年が慌ただしく過ぎ去るのを惜しむように、琴子はツリーを見上げていた。

イベント事に全力投球していた学生時代と違い、特に年末は仕事に追い立てられるように日々が過ぎていく。

今年は平日にクリスマスを迎えることも相俟って、例年のようには、いまいち気合いが入らない。

「あたしも大人になったってことなのかな」

両手のカルテを持ち直し、ため息をつくと、ロビーの壁にかかるカレンダーが目に入った。

今日は24日、琴子は夜勤明けでもうすぐ帰宅することが出来る。

直樹は近隣の医院に連日当番で当たっていて、明日は休みを貰ったと話していたっけ。

明日は久しぶりの二人揃っての休日。

「そうよっ」

慌ただしくて、忘れていたけれど、一抹の光が差し込んで来た気がした。

 

 

「は?」

レースとピンクで統一された琴子と直樹の部屋。

ドアを開けるとそのベッドの上に琴子がちょこんと正座していて直樹は一瞬何事かと驚いたが、畳み掛けるように放たれた琴子の言葉に今度こそ耳を疑った。

「だから、……ねっ」

「ねっ、じゃねーよ」

「だって……今年は平日にクリスマスだったから、クリスマスパーティーもなしだったじゃない」

「だからってなんで日帰りで札幌行かなきゃいけねーんだよ」

琴子のひざ元には、「るるぶ札幌」「北海道観光ガイド」など、どこでかき集めて来たのか北海道のガイドブックが散らばっていた。

「まあまあ、コーヒーでも」

「おかあさまっ」

笑みをたたえた紀子が、ドアの隙間からぬっと顔を出した。

「おにいちゃん、コート脱いだら」

「……」

しぶしぶとコートをかける直樹をよそに、ガイドブックを肴に琴子と紀子が盛り上がる。

「やっぱりクリスマスはイルミネーションを見ないと始まらないわよ」

「ですよね、おかあさま!」

「……イルミネーションくらい近くで見られるだろ。なんでわざわざ」

「雪の街で見るイルミネーション、素敵だろうなあ」

「そうよ、琴子ちゃん、風邪引くといけないから暖かい恰好していかなきゃねっ」

「……おまえらは俺の話を全く聞いてないな」

「おにいちゃんは仕事しすぎなのよっ!琴子ちゃんと最近どこかデートしたの」

「そーよそーよ」

直樹の反論はどこ吹く風とばかり、琴子と紀子はガイドブックに見入っている。

「あら、ここ最近テレビでよく見るわ」

「わー、旭山動物園!ペンギン見たいなあ」

「……札幌なのか旭川なのかどっちかにしてくれ」

「じゃ、札幌ねっ!準備しなきゃ!」

「よかったわね琴子ちゃん!パパに頼んでパンダイの名前で飛行機押さえておくわ!」

「……」

二人は手を取り合って部屋を飛び出した。

取り残された直樹は、精神統一を図ろうと本に手を伸ばしたが、勢い余ってベッドに倒れこんだ。

 

 

「一時間……。飛ばないね、飛行機」

直樹と琴子は、朝一番の飛行機に乗っていた。

乗客全員が案内され着席してから、到着地がの悪天候で出発が遅れるとのアナウンスがあり、琴子たちは飛行機内に閉じ込められてしまっていた。

「ねー、入江くん、飛行機ってせまいのね」

「……お前は寝とけよ」

ゆさゆさと肩をゆすられ、なすがままの直樹がイヤホンをとってつぶやいた。

「朝からよくはしゃぐな」

「だってだって、あたし北海道初めてなんだもん!しかもクリスマスなんだよ!入江くんも北海道は初めて?」

「あれ、知らねぇの、北海道に親父の別荘があるから何度か来たよ」

「ふ、ふーん。お金持ちねぇ。あ、動いた!動いたよ入江くん!」

小さな曇った窓の景色が動き、駐機場からゆるゆると世界が開けていく。

「あ、入江くん、シートベルトしてる?」

「うるせーな、自分の心配してろよ」

「何か忘れ物無いかなぁ。えーと、お財布持ったし」

「今更なに言ってんだよ」

「ああっ」

「……なに」

「帽子とマフラー……せっかく買ったのに……」

「こっち、朝から暖かかったからな。なんとかなるだろ」

「うん!入江くん用にタイツも買ってあるからね」

「いらない」

「そのトラウマになってる言葉やめ……うわっ」

『まもなく離陸します』

飛行機がゆっくりと下がり、加速しはじめる。

重い振動とともに浮遊感を覚え、琴子と直樹は正真正銘の機上の人となった。

 

 

飛行機は結局、一時間半遅れての到着となったため、琴子と直樹は昼過ぎに札幌へと到着した。

平日だが、観光客らしき団体や学生らが、忙しなく札幌駅内を行き来する。

身を切るような風に吹かれて、琴子と直樹は改札を出た。

「お腹、すいたね」

「仙台では名物もんを食べられなかったからな」

「うーん、でも昼間からカニは食べられないじゃない?」

「食べればいいだろ」

「帰り空港で食べればいいかなって」

「……お好きに」

「やっぱりラーメンにしようよ、入江くん!」

二人分の荷物を手に取ると、琴子は直樹の手を引いて駅を飛び出した。

 

 

「さ……」

「寒いな」

「うん……。傘買おうかな」

二人は吹雪の中を、ラーメン横丁を目指して歩いていた。いや正確には這いつくばっていた。風が強く、視界は真っ白で10m先も見えない。

「傘買っても折れるのが落ちだよ。……とりあえずここ入るぞ」

かすかに見える看板を頼りに、二人は息も絶え絶えに店に滑り込んだ。

 

 

「アイス……」

二人の目の前には、カラフルに盛り付けられたパフェやアイスのメニュー表が広げられている。

裏をめくってみても、今欲している温かいスープや、ましてラーメンは見当たらなかった。

「ここ、アイスクリームで有名なカフェだよね……」

「雪で気づかなかったけどな」

「ねえねえ、出よっか」

「出るって」

「こんな寒いのに、アイス食べたら死んじゃうよ」

「暖房効いてるし、めったに食べられないんだからお前食べとけよ」

「え……」

「お前の甘いもんを食べる時の顔って幸せそうでいいよな」

「ええっ」

琴子は恥ずかしそうに両手で顔を押さえた。

直樹はにやりと笑って店員を呼び止めた。

「すみません、この一番でかいパフェと、俺はホットコーヒーで」

 

 

「……」

「どうした、口動いて無いぞ」

「入江くん……」

「なんだよ」

二人がカフェに入ってから、一時間が経過していた。

白く吹雪いていた空もだいぶ落ち着き、楽しげに笑って行き交う人の姿が見える。

それとは対照的に、琴子の顔は曇り、眉はへの字になっていた。

「入江くんって、本当に……」

スプーンで掬ったアイスを手に持ち、口を開けるか思案しながら琴子はため息をついた。

「もう無理……だめ」

「じゃ、それ食ったら行くか」

「食べらんないよお」

「だから」

直樹は琴子に顔を近づけると、スプーンをくわえてごくりとアイスを飲み込んだ。

「ち……近いよ入江くんっ」

「なかなか旨いな」

口の周りについたアイスを舌でぺろりと嘗めると、ぼっと赤くなった琴子を見て、直樹はにやりと笑って席を立った。

 

 

はらはらと雪が舞う。先ほどより幾分見晴らしの良くなった街中を、手をつないで歩く。

風は冷たいけれど、雪のクリスマス、見知らぬ街を直樹とゆっくり歩くのがとても嬉しくて、琴子ははしゃぐ気持ちを抑えられなかった。

直樹の手を引いて路地へ向かう。

「ねぇねぇ、時計台だよ」

「すげー観光客の数だな」

「ねえねえ、写真撮ろうよ」

「いいよ、めんどくさい」

ビルに埋もれた時計台の周りを、琴子と直樹、そして大勢の着膨れた観光客が取り囲んでいる。

琴子がポケットからカメラを取り出そうとしたとき、周囲に鐘の音が響き渡った。

「鐘の音が……」

二人で時計を見つめて鐘の音に聞き入る。冷たく張り詰めた空気に、荘厳な音が響き渡っていた。

「なんだか、結婚式の時みたいだね」

うっとりと目をつぶり、妄想の世界にトリップしている琴子に苦笑すると、直樹は形だけつっけんどんに答えた。

「思い出したくも無い」

「あたしは楽しかったけどな」

ふくれる琴子を小突き、直樹は琴子の手を掬い取ると、自分のポケットにねじ込んだ。

「もういいだろ、行くぞ」

 

 

「きれい……」

厚く覆われた雲は晴れることなく、いつのまにか辺りの陽は落ちて、あたりには暗闇に無数のイルミネーションが光り輝いていた。

木や植物など、様々な形を模したオブジェが緑や青などに光輝く。

その周りの木々がライトアップされてオレンジ色に浮かんでいる。

ふたりは缶コーヒーを湯たんぽ代わりにベンチに腰かけた。

琴子が夢見心地で辺りを見回す。

「ねえねえ、写真撮ろうよ」

「よっぽどの腕じゃなきゃ、きれいに写せないよ」

「そうかな……」

「写真よりも」

直樹は琴子の腰に手をかけると、そのまま引き寄せた。

「きゃ……」

琴子の頭が、直樹の胸に沈む。そのまま抱き寄せて、直樹は琴子に唇を重ねた。

そっと触れて、至近距離で見つめ合うと、くすぐったそうに琴子が笑う。

鼻先を掠めて更に深く口付ける。

体の力が抜けて、崩れ落ちそうな琴子を更にしっかりと抱いて、角度を変えて尚も続く。

琴子ははぐれてしまわないよう、直樹に手を回し指先でぎゅっと服を握り締めていた。

ちゅっと音を立てて顔を離すと、暗闇でも分かるような真っ赤な顔をした琴子に、直樹がささやいた。

「……と、散々盛り上げたけど、もう時間だから帰るぞ」

ぱんぱんと服をほろって立ち上がる直樹に、琴子がつぶやいた。

「入江くんって、やっぱり……いじわる」

 

 

「どれだけ買うんだよ……」

空港のお土産やさんで、琴子は奮闘していた。

「じゃがぽっくるをダンボール二箱と〜、白い恋人をダンボール一箱と〜、生キャラメルのこのケースの中全部ください、送ってください、えーとあて先はここで…あと〜」

「おい、琴子、飛行機乗り遅れるぞ」

「まって入江くん!西垣先生に〜」

「……西垣?」

「うん、こないだ色々悩み聞いてもらっちゃって」

「なんで」

「どうやったら赤ちゃんできるのかとか」

「はあ!?」

「だからなにか……」

「……西垣先生には俺から何かやるから、お前はいいよ」

「えー、そうかな」

「行くぞ」

軽くめまいを覚えながら、直樹は二人分の航空券を手に、琴子の手を取り、検査場へ向かった。

2008年12月25日

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