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remember

 相変わらず学食の場所取りには苦労するが、六月を過ぎると手馴れたもの。席を立つ学生を目ざとく見つけては二人分の座席を確保して、かばんを置きつつ千草ちゃんを待つのが私の日課だった。

「響!」
「千草ちゃんおかえり」

 トレイに定食を乗せた千草ちゃんがコップに注がれた水をたぷたぷと揺らして、危なっかしく人ごみをすり抜けて席に座ろうとする。私はトレイからコップを取り上げてかばんをずらし、千草ちゃんと向き合った。

「はい、お水」
「ありがと、響は?」
「今日はお弁当なんだ」
「そっかぁ、じゃ食べようっか」

 箸を割る千草ちゃんの薬指に、見たことのない指輪が光っている。大学に入ってからさらにきらびやかにデコレートされた爪に、青い石が良く映える。

「千草ちゃん、指輪買ったんだ」
「ううん、これ渚がくれたんだぁ」
「えっ、そうなの?」
「うん、でも変なんだよ。『心配だから』って押し付けられたぁ」
「あはは」

 千草ちゃんと一緒に歩いていると、歩みを妨害するように男に取り囲まれ誘われることもしょっちゅうある。高校のときはきっと浩介や渚がいることで回避できていたということを、千草ちゃんは気づいていないのかもしれない。千草ちゃんは派手な外見に似合わずガードは固いが押しに弱い。千草ちゃんの愚痴を聞いた渚が慌ててプレゼントしたのだろう。

「ふふ、お年玉なくなっちゃったって」
「へぇ」
「誕生日プレゼントにもちょうどいいからってさぁ」
「誕生日か……、誕生日……」

 学校にもバイトにも慣れ、彼氏と彼女の関係にもようやくくすぐったさを感じなくなってすっかり落ち着いていたけれど、今月には先生の誕生日がある。このためにと溜めていたわけではないけれど、使うあてもないからバイト代はそのままにしてある。落ち着いている場合じゃない。去年は別れていたしその前は……。「魔がさした」と言われた苦い思い出がよぎる。今年こそと思っていたのに、すっかり頭から抜け落ちていた。

「ねぇ響、伊藤の誕生日って今月じゃない?」
「うん、今思い出した……」
「どうするの?」
「どうしようねぇ……」
「うーんやっぱりここは」
「うんうん」
「ケーキ作るとかぁ、手料理とかぁ」
「……今からかぁ、ちょっと自信が」

 「それに」と言いかけて私は言葉を飲み込んだ。先生を信用しているのには変わらないけれど、未だに「魔がさした」と言われたことに対してトラウマのような感情を抱いていて、手作りケーキの類をプレゼントすると思うだけで心が締め付けられるように苦しくなる。私は言葉を発しようと半開きになった口をごまかすようにおにぎりを押し込んだ。

「そういえば響の作ったお菓子とか食べたことないね」
「うん、どっちかというと苦手」

 水でおにぎりを流し込んで笑いかけると、千草ちゃんは箸を持つ手を止めてうんうん唸っている。

「伊藤って物欲なさそう」
「あー、なんかそんなかんじ」
「また誰かに聞いてみる?渚は……今大会前で忙しいみたいだから」

 千草ちゃんは携帯をいじるとため息をついて、指輪を指先でなぞった。多分今私達の頭に浮かんでいるのは、情けないことにただ一人だけだ。どうしようもなく傲慢でいい加減だけれど、先生と私の関係を良く知っていて、少しくらいは役に立つかもしれない。

「……浩介?」
「うん、浩介しか……。あの浩介しか」
「浩介かぁ……」
「訊かないよりマシって感じ?」
「うーん……。メールしてみる。えっと、『先生の誕生日に何あげたらいいと思う?』っと……」
 
 送信ボタンを押すとすぐに携帯が短く鳴って、私達は返事の早さに思わず顔を見合わせた。

「はやっ」
「浪人とか言って遊んでたりして」
「浩介だしね」
 
 千草ちゃんに笑いかけながら携帯を開くと、やはりメールは浩介からだった。短い文面を見た瞬間に私はめまいがして、相談したことを心の底から後悔しテーブルに突っ伏した。

「えっ、え、響、浩介なんて?」
「ばっかじゃないの……」
「……なにこれ。浩介はやっぱりバカだったね」
「響ちゃん、千草ちゃん!空いてる?」

 携帯の画面を見せて突っ伏していると、馴染みの声が聞こえて、私は勢いよく顔を上げた。

「大丈夫、どうぞどうぞ」

 かばんを片付けて席を作ると、英語の講義で同じクラスの子が二人、トレイを置いて座った。何度も一緒にご飯を食べている中、二人とも彼氏がいることがわかって、何度か彼氏の話題になったことがある。女子高出身のせいかどぎついシモネタに引いたこともあるけれど、それを察してきちんとフォローしてくれて、露出の激しい服を着てとっつきにくそうなのに気取らない二人が私はとても好きだった。

「もう響ちゃん食べちゃったんだ」
「うん、なんかもうね……食欲もなくなったっていうか」
「どうしたの?悩み?」
「そうなのー、いと……響の彼氏が今月誕生日なんだけどね、年上なのもあって何あげたら良いのかわかんないんだぁ」
「ふぅん」
「で、男の友達に相談したら、帰ってきたメールがこれ!」

 千草ちゃんが私のメール画面を見せると、二人は大きな声を上げて笑った後、私の背中をどんと叩いた。

「いいじゃん!『誕生日には私をプレゼント』!」
「かわいい下着つけてー、響ちゃんが普段着ない格好したりしてさぁ」
「だよねぇ、まぁちょっと位は物もあげたほうがいいと思うけど、基本はコレでいいと思うなぁ」
「うんうん」
「……本気?」

 二人の半分冗談とも取れる口調に、真意を確かめるように二人を見つめて迫ると、二人は顔を見合わせて、それから少し真剣な目をしてうなづいた。

「男の人って、気づいてないようで服とかちゃんと見てるんだよ」
「『自分のために』って思ったらさ、絶対嬉しいよ」
「そうそう、『普段は着ないけどあなたのためよ』って」

 さっきとは打って変わった落ち着いた二人の口調に、千草ちゃんは異次元に迷い込んだような顔をしている。私もきっと、同じ顔をしているんだろう。同じ年のはずなのに、妙に説得力があってリアリティがある風に聞こえるのは何故だろう。この二人は経験値がそれなりにあって、きっと色んな場面に出くわしたことがあるのかもしれない。でも、いざ自分がその場面に放り出されたと考えてみると、どうもしっくりとこないのだ。

「……やー、やっぱ無理だよ……」
「うん、色々言っちゃったけど響ちゃんには合わないかもー」

 ため息をつくと、二人は笑って箸を動かした。

「彼に訊いてみるのが一番いいよー」
「あたしもそれがいいと思うな」

 現実に戻ってきた千草ちゃんが、同調するようにうなづいて私を見た。

「欲しいものをあげるのが一番だよ」
「……訊いてもいいものなのかな」
「訊かないとわかんないよ、いと……響の彼氏何考えてるかわかんないからさー」
「へぇ、響ちゃんの彼氏ってむっつりなのぉ?」

 探るように見つめられて、私は今までのことを頭の中で振り返った。先生は見た目は確かに何を考えているのかわからないけれど、二人でいるときはいつもくっついてくるし、気づいた時にはどこでも唇を重ねてくるから──

「ううん、むっつりではないと思う」
「ちょっと響、真面目に考えないでよ!生々しいから!」
「ひゃあ、オープンすけべなわけね」
「それならなおさらかわいい下着くらいなら……」
「うーん、そうだねぇ……。下着くらいならいいかな」
「響っ!」

 肩を揺さぶられて目を開けると、頬を真っ赤にした千草ちゃんの顔がすぐ近くに合って唇をとがらせている。照れて笑うと、千草ちゃんはさらに上気した頬を膨らませた。

***

 千草ちゃんに頼み込んだけれど、「生々しいのはイヤ」と言われて、私は一人、下着売り場に足を踏み入れた。先ほどの二人のオススメというこのショップには、透けた紫や黒など、つけたことのないような色の、一目で高いものとわかる下着が展示されている。落ち着かない空間にきょろきょろと周りを見回し、目に付く下着の値札を確認してみる。やはりバイト代を下ろしてきたのは正解だった。

 普段自分がつけているものよりもとても肌触りがよくて、値がいいはずだと一人うなづいた。布の面積はとても小さくて、その布も手にとると明らかに透けていて妖艶に思える。丁寧に刺繍が施されたそれを、頭の中で自分の身体と重ね合わせてみた。似合うに合わないの問題ではなく、やはりどうしても、ここにいること自体が不釣合いに思えてくる。

「でも、素敵だなぁ」

 女らしいもの、きれいなものに憧れはあるけれど、ずっと遠いところに存在していて、今までは手を伸ばすことさえためらっていた気がする。先生が気づいても気づかなくても──例え当日私がこの下着をつけなくても──所有していたいと思えるくらいに女心をくすぐられて、私は顔を上げた。それを合図か店員が近づいてくる気配がして、またも気恥ずかしさがこみ上げてくる。話しかけられて探りを入れられるのも、この場ではとても気まずい。私は手に取ったままのそれを店員に渡した。

***

 先生はいつもタバコをくわえているから、なるべくシンプルなジッポをひとつ買った。タトゥの入ったガタイのいい店員さんに腰が引けそうになったけれど、プレゼントだというととても熱心に話を聞いてくれて、喜んでもらえそうなものが買えたと思う。はじめて手に取ったジッポはずっしりと重かったけれど、紙袋の中の下着のほうがなんとなく重たい気がする。店を出ると急激な疲れが襲ってきて、目の前にあるカフェへと足を進めた。

 アイスココアを飲みながらも、私は下着のことが気になっていた。ブラジャーもパンツも、肌触りやデザインがステキなだけで、見た目はそんなに変わらないはず。ろくに検討もせず買ってしまったのと、店員さんの言葉がどうしても気になって、私は周りに見られないように紙袋の中に手を突っ込んだ。

 ──パンティラインが出にくいからオススメですよ、とにこやかに手渡されたそれが手にあたり、紙袋の中で広げてみる。布地が小さいのはわかっていたけれど、予想もしなかった形状に私はびくりと手を引っ込めた。膝がテーブルに当たり、ココアがこぼれそうになる。私は紙袋から手を抜いて、胸に手を置いた。

「Tバック、だよね……っていうかどっちが前かもわかんないんだけど……」

 もう一度手を入れてみる。ブラジャーは普段どおりの形状をしているようだが、パンツは何度触っても、どこをさわっても明らかにTバック状をしている。

「だからって、買いなおすのはもっと恥ずかしいなぁ」

 千草ちゃんについてきてもらえば良かったと少しだけ後悔の念がよぎるけれど、過ぎたことを思っても仕方がない。私は意を決してストローをすすった。下着は当日まで封印しておこうと心に決めながら。

***

「よし、行きますか」

 六月二十三日は良く晴れた休日で、私は暑くなるのを見越して風通しのいいフリルのブラウスにふくらはぎまでのカーゴパンツを履いて家を出た。服の下にはあの日買った下着をつけている。今朝改めて紙袋から出した時、面積は相変わらず小さいけれど思っていたよりもずっとかわいらしくて、Tバックであってもそれほど似合わないとは思えなかった。驕りかもしれないけれど、つけてみると気分が引き締まる。なるほど勝負下着というだけあるなぁ、と私は食い込むパンツを気にしつつ先生の家に向かった。

***

「こんにちは」

 チャイムを押すと、先生はTシャツにジーンズのいつもの格好で出迎えてくれた。

「おう、入れ」
「おじゃましまーす」

 いつものようにぺたりと床に座る。先生は手にコップを二つ持ってテーブルに置き、向かいに座った。

「あ、ありがとうございます」
「それより、せっかく天気良いのに外出かけなくていいのか?」
「いいんです、先生今日は運転とかしなくていいの」
「はぁ」

 先生は首をひねって納得のいかないような顔をしている。ひょっとしたら──今日は休みの日だから、誰にもプレゼントを貰っていなくて自分でも気づいていないのかもしれない。私は一口飲むと、紙袋を先生に差し出した。

「はい、誕生日おめでとうございます」
「あ、ああ……今日だっけ」
「二十三日でしょ?」
「ああ、そうだ。金曜に学校で……なんか貰ってたわ」
「二日前のことをすでに忘れている……」
「うるさい」

 先生は少しだけ決まりの悪そうな顔をして私のほっぺたをつまんでひっぱると、包みを解いた。頬に先生の少しささくれた指先が当たって、急に気恥ずかしさがこみ上げてくる。何度触れられても、鼓動はいっそう早くなるしうまく息を吸うことも難しくなる。先生を身近に感じるのは嬉しいけれど、とても苦しい。

「おー、ジッポか」
「どうぞ使ってください」
「はいはい、ありがとう」

 先生はジッポを両手でもてあそびながら、私の横に座った。腕に先生の手が当たって瞬間居た堪れない気持ちになるけれど、胸の中に引き寄せられて先生のぬくもりにうっとりさせられる。結局私は先生に屈するしかないのだ。そうさせられている自分が満たされているのは紛れもない事実で、私は体が熱くなるのを感じていた。Tシャツをぎゅっと握ると、先生は私の頭に唇を寄せて、それから頬を撫でてそっと口づけてくる。そっと触れて、それから味わうように唇を動かし、音を立てて離れていく。

 もっと触れて欲しくて背中に腕を回すと、先生は顎を固定するように私の顔を上向きにして、息つく暇もなく唇を押し付けてきた。はずみで半開きになった唇の隙間から入り込んでくる舌は苦いタバコの味がして、容赦なく私の口の中を探ってくる。角度を変えられるたびに息継ぎを繰り返すと、やはり鼻にかかったような声が漏れてしまって気恥ずかしい。そのたびに胸を押すけれど、先生は口づけをやめない。まるで声を聞きたがっているかのように長く舌を絡めては音を立て、私が鼻を鳴らすのを見計らってまた私の唇を味わう。手がまさぐるように私の背を撫でて下に降りたとき、先生は驚いたように唇を離した。

「おい、パンツ履いてないの?」
「ん……パンツ……?あ、履いてる、履いてます!」
「じゃなんで……あれ?」

 先生の手が、私のお尻をいったりきたりする。私はいよいよ恥ずかしさがこみ上げてきて、先生の胸に顔をうずめた。

「あの……形がちょっといつもと違うの」
「へぇ、なるほどなぁ……。ちょっと見せて」
「せっ、先生、まだ昼間だよっ」
「ああ、カーテンな」
「違うってばぁっ」

 先生は頭をぽんと撫でた後、勢いよくカーテンを閉めると、私を横抱きにしてベッドに降ろした。先生の長い指がブラウスのボタンを外していく。私は両手で顔を覆って羞恥に堪えた。足からカーゴパンツまで抜き取られて、部屋がしんと静まり返る。手の隙間から覗き見ると、先生は私を組み敷いた体勢のまま身体を起こして私の身体を舐めるようにじっと見回している。

「はっ、恥ずかしいからそんなに見ないで……」
「すげ……これ、後ろどうなってるの?」

 先生はパンツのゴムを引っ張ると、私をゴロンと転がした。横向きにされて、膝を抱える格好になる。意図せずお尻を突き出すような格好をさせられて、私は目を固く閉じた。

「だっ、だからそんなに見ないでくださいってばぁ……!」
「わ……すげぇなこれ……」

 上を向こうと手を付くがうまく力が入らない。先生の手が私のお尻を持ち上げる。さらに身体を転がされて膝を立てて伏せるような格好になってしまった。きっと、まるで「見て」と言わんばかりに私のお尻が先生の目の前に突き出されている。

「ほんとに……もうだめです……!先生……!」
「……俺も色々とダメかも」

 先生は腰から背骨にそって舌を這わせ、私を後ろから抱きしめてきた。耳のすぐそばで、着ているものを乱暴に脱ぎ去る音が聞こえる。先生の荒い吐息が耳をくすぐるたびに鼓動が跳ね上がるけれど、先生に包み込まれていく気持ちよさには心底うっとりとさせられる。いつもとは違う荒々しい指先に服従させられながら、嵐に飲み込まれていく自分に酔っていた。

***

「誰かになんか吹き込まれたんだろ?」

 ベッドに並んで座り膝を抱えて余韻に浸っていると、先生はジッポにオイルをさしながら私を上目で見た。目には少し照れが含まれているように見え思わず覗き込むと、先生はごまかすように口の端をあげてジッポをテーブルに置いた。

「……そんなことない、です」
「嘘つけ」

 肩を引き寄せられて、また軽く唇を吸われる。肩に置かれた手からはオイルの独特の香りがして鼻をくすぐる。先生の匂いと混ざって、私は蜜に吸い寄せられる蝶にでもなったかように先生の胸にしがみついた。

「どうした?」
「ん……なんでもない」

 背中をぎゅっと握ると、先生も私を抱きしめなおして、髪を撫でてくれた。先生が髪を梳くたびに魂が吸い取られていくようで心地がいい。

「もっと撫でて」
「はいはい」

 先生の誕生日のはずが何もできなかった気はするけれど、こうして二人でいられることが何よりも嬉しい。私はまた大きく息を吸い込んで背に回す手に力を込めた。生まれてきてくれてありがとう、先生。

2010年6月23日

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