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010 : 天国への階段

 真冬の買い出しは、琴子にとっての戦場だった。
 マフラーをぐるぐる巻いて、深くニット帽を被り、足元まであるダウンジャケットで今日もいく。


 激安スーパーマーケットの店内には相変わらず、チープな機械音でアレンジされたヒット曲が鳴り響いている。最近はその売り場によって、店内放送ではなく、ラジカセやテレビビデオを設置して、調理法から生産地情報を客にアピールしている。客の購買欲をそそるたくらみがいくつも見られる。
 美味しいもの、お得なものを判断する材料にはなるが、今の琴子はそんな店の策略には興味がない。生鮮売り場などの建物の中であるにも関わらずの真冬を思わせる冷気に対して、負けるものかと意気込んでいる。外と同じ気温なのではないかと琴子はいつも小さく憤っていた。豆腐コーナーごときで、牛乳売り場ごときで、風邪をひいて堪るものかと。紀子の持たせたメモを片手に、見つけたら手早くカゴに入れる。その動作をひたすら繰り返していた。

「買い過ぎじゃないの」

 荷物持ちの裕樹が、腰を落とし重たそうにカゴを両手で持っている。
 同じ大学に入っても、相変わらず琴子につれない態度をとり続ける直樹と裕樹は違う。裕樹は琴子であっても、三回頼めば荷物持ちに付き合うのだった。しぶしぶではあるが。

「いいの!でも……意外と裕樹くんっていい子だよね」

 メモを片手に、買いそびれたものはないかをチェックしていた琴子が、大きなため息をついて肩を落とした。

「なんだよいきなり、気持ち悪い。しかもお前今のその態度褒めてんのかよ、けなしてんのかよ」

「失礼ね!褒めてあげてるの!入江くんなんて、デートしてくれないもん」

 琴子は再び、今度は大袈裟にため息をついた。

「げえ、これデートなのかよ。勘弁してよ」

「そうよ、あとで美味しいコーヒー飲んで帰りましょ」

「おごりだろうな?」

「そうよ。おばさまからのご褒美!」

 琴子は店内をあてもなくうろうろと歩きながら、紀子の買い出しメモの最終確認を始めた。

「キムチとたくわんとらっきょう……、おばさま、お漬物がマイブームなのかしら」

「目標を決めてあるけよ!重いんだよ!聞いてんのか?」

 琴子はまだメモに目を落としている。ふらふらと酒コーナーに入った時、それまで纏わり付いていた冷気が少し和らいだ気がして、顔をあげた。

「奥さん、よかったら」

「奥さん、奥さん」

「へ?あたし?」

 琴子が顔を上げた、ちょうどその先には小さな日本酒の乗せられたワゴンがある。紙コップを持ったおじさんが、満面の笑みで琴子を見ていた。

「美味しい日本酒ですよ〜!熱燗にしてありますから暖まりますよ!ま、ま、お試しに」

「はあ、じゃ、いただこうかな…」

 琴子は、紀子に頼まれごとをされるとき、「お茶代」として多めにお金を預かる。そして、その帰宅途中にどこにも寄らずにまっすぐ帰ると「なぜ寄り道をしてこないのか」と責められるのだった。紀子の琴子への気遣い、愛情は、実の子へ対してのそれと質が違って、「大切なよそ様の女の子」と「本当の家族」との認識が複雑に絡まっている。琴子は紀子の気持ちが本当に嬉しいと思っているが、家事全般をお任せしている居候の身で、それに甘えるのは気が引けるのだった。だから今お酒を試飲してーいや、それでも紀子を納得させるのは困難だから、ここでお酒を飲んだということにして、甘酒でも買って、それを家でみんなで飲もうか。琴子はぐるぐると考えながら、透明な液体の入ったそのコップに口をつけた。

「わ、飲みやすくて美味しい。これ、いただきます!」

「でしょう!こちら「美麗中年」というお酒で、最近、若い奥様に人気なんです」

 「美麗中年」を受け取った琴子は、おじさんに「奥様」と連呼されて、とても気分がよかった。ワゴンの上のコップを覗くと、先程の「美麗中年」とは違って、白く濁っている液体が見えた。

「こっちは……」

「こちらは「美描美犬」です。最近出たばかりなんですよ」

 おじさんからそのコップを手渡され、琴子は一気にいった。

「んー、こっちも飲みやすい」

「これは?」

「それは「美鳥恰好」です」

「美味しい!」

「これは?」

「美チョコレートです」

 琴子はすっかり出来上がっていた。すきっ腹にぐいぐい飲んだのがいけなかったらしい。琴子の手からメモが落ちる。

「あれ、目が、目が……」

 おやつコーナーで物色していた裕樹が、人だかりに気付いて駆け付けた時、琴子は「美麗中年」と書かれた瓶を胸に抱いて気持ち良さそうに床に寝転がっていた。

「琴子……いつからオヤジ趣味になったんだよ」


 琴子はスーパーの休憩室で目を覚ました。試飲専門のバイトが急に休んでしまったので、店長自ら売り子をしていたこと。慣れないので試飲用の小さな紙コップではなく、通常の物に並々と注いでしまったことを聞かされた。琴子は店長の鬼気迫る謝罪に恐縮して、まわらない頭で精一杯笑って見せたが、裕樹は琴子に見つからないよう、そっと鼻をすすった。

「あんなにお酒って回るものなのねぇ。ふわふわしてて、天国にいるみたいだったなあ」

「ったく、気をつけろよ、お兄ちゃんに言うぞ」

「そ、それだけは……、ね、裕樹くんっ」

 琴子と裕樹は、お詫びに持たされたワイン五本とミネラルウォーター一箱のせいで荷物が増え、タクシーで帰宅することにした。

「僕が来た意味ないじゃん」

 すねる裕樹の言葉に琴子はぷっと吹き出し、まだ酔いで火照る顔をムニムニと触りながら、ぽんぽんぽんと裕樹の頭を撫でた。


2009年1月22日脱稿/2009年5月14日up

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