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030 : その瞳に映るのは(R-15)

 朝もやが、病院の中まで立ち込めていたので、守衛さんに「変な天気ですね」と話し掛けたのは覚えています――

 目の横に張られたメンディングテープを弄りながらそう西垣先生に伝えると、その肩の向こうに眉をひそめた入江くんの顔が見えた。顎に手をやり、しきりにさすっている。

「琴子ちゃんが話し掛けたのは植木だったんだよ」
「ええっ」
「そして倒れた。人と植物が区別出来ないほど疲れていたんだね。今日は帰りに僕と一緒にリラックスできるバーにで」
「琴子、一人で帰られるか」

 あたしのトートバッグを肩にかけると、入江くんは師長には話は通してある、とあたしの背中に腕を差し入れてゆっくりとおきあがらせてくれた。

「めまいは」
「うん、今は平気」

 入江くんは背中からすうと撫でて、あたしの肩をぎゅっと掴むようにして揉んだ。と同時に側頭部を糸で引っ張られたような感覚を覚える。

「んんっ」
「お袋……いやタクシー呼んだほうがいいか」
「大丈夫よっ」
「いや……」

 握りこぶしを作って復活のアピールをしてみるけど、入江くんは、ある一つの事柄がこの事態を引き起こしたのだと解り切ったように申し訳なさそうでいて……、でもその瞳の奥は先ほどまで自室のベッドの上で見つめられていたのと同じ色をしていた。

「入江先生、やっぱり奥さんには御優しいのね」

 車椅子に乗らされて入江くんに押してもらって廊下を行くと同僚の羨望の眼差しと、医師の好奇の視線に晒され、あたしはじっと車椅子の前輪を見ていた。

「無理したか」
「えっ、ん、そう、かも」
「でも連休だったしなあ」
「だっだからって三日連続なんて聞いてないわよお」
「事前に言ってほしい?」
「……それはいやかも」
「昨日は安息日にしたのになあ」
「っ!安息日、ってあたしがベッドから起き上がられないからやっと終わりにしてくれただけじゃない」
「シー!声がでかいぞ……その割には気持ち良さそうだったけど」

 気がつくと玄関前には今度こそ本物の守衛さんが立っていて、ごほん、と咳ばらいをしながらあたしと入江くんに会釈をした。毎朝会釈はするけれど、お話をするのは初めてだ。

「すみません、とんだ騒動を」
「本当だよ。ばか。申し訳ありませんでした」

 顔をあげると、澄ました顔の初老の守衛さんは、玄関の鍵を開けてもう一度あたし達を見て呟いた。

「入江先生は強いのかね」
「……」
「ええ、そりゃもう、あたしなんか足元にも及ばないってかんじでー、高校からテニスを……持久力、瞬発力もすごくてもちろんお医者さんとしてもどんな患者でもピンポイントで直しちゃうゴッドハンドの持ち主でえー、特に右人差し指がなんでも探れちゃう魔法の指なんですって!あっ、でも入江くんいじわるなんですよっ!しつこいし、長いし、やめてっていってもしつこくて」
「琴子いくぞ」
「えー、いくらやめてっていっても鼻摘んでくるのは入江くんだっていま守衛さんに」

 入江くんは髪をかきあげると心なしか赤い耳を見せてまた守衛さんに礼をした。


2010年1月26日ブログ掲載/2010年4月up

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