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043 : 空を見上げて

 ――もう慣れたけど。

 あたしは居間で一人、空を見上げていた。入江くんを待ち続けることにはもう慣れている。例えスーツに甘い香水をまとっていたとしても、あたしの好きな人に変わりはないのだから。

 玄関から鍵を閉める音が聞こえる。視線をドアのほうに向けると、入江くんがソファにかばんを投げ出して、ネクタイを片手で解いていた。

「お、おかえり」
「……ただいま」

 入江くんはネクタイを丸めてソファに押し付けると、あたしのいる窓の近くに歩いてきた。肩を回して背広を脱ぎながら。あたしはそれが妙に色っぽく思えて、鼓動が早くなるのを感じていた。

「……満月だな」

 入江くんは脱いだ背広を片手に持ち、空を見上げた。背広からはやっぱり女物の甘い香水のにおいがして、目の奥がじんわりと熱くなってしまう。あたしは涙がこぼれないようにあわてて空を見上げた。

「そ、そうだね」
「他に好きなやつ、見つかったか」
「……入江くんには言わないもん」
「……関係ないしな」

 入江くんは笑いを含んだ声で言うと、持っていた背広を両手でぎゅっと丸めはじめた。あたしは布がこすれる音を聞きながら空を見上げていた。

「……月が綺麗だな」

 あたしが入江くんに視線を移すと、入江くんはあたしの目をじっと見つめていた。顔が半分月夜に照らされて、心なしか真剣な表情をしているように見えた。

「う、うん」

 あたしがうなづくと、入江くんは笑って、「冗談だよ」と言った。あたしは天文学なんて分からないけど、今日の月はずっときれいだと思うのに。

 首をひねると、入江くんはあたしの肩をぽんと叩いて二階へと上がっていった。あたしは階段がきしむ音を聞きながら、少しだけ泣いた。


2010年3月10日脱稿 2010/3/18修正 2010年4月up

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