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045 : 飴と鞭

 家の戸を開けると、珍しく電話が鳴っている。俺は急き立てられるように靴を脱ぎ受話器を取った。

『……もしもしぃ……』
「……」

 夕方も聞いた、聞き飽きたいつもの間の抜けた声が耳に飛び込んできて、バイトの疲れがどっと押し寄せてくる。

『……あのぅ、入江くん?』
「違います」
『えっ、ちっ違うのぉ!?裕樹のヤツ!』

 琴子はどうやら裕樹に番号を聞いて「声が聞きたい」だの「元気にしてるか」だのつまらない話をしに電話をよこしたのだろう。俺が黙っていると、琴子は裕樹への不平不満を愚痴グチと呟き始めたので、俺は安堵のためいきをもらした。自分から飛び出した家とはいえ、少なからず家族のことは気がかりではある。どうやら、裕樹も元気にしているらしい。

『あっ、ごめんなさいっ!見ず知らずの方にこんなこと』
「何の用だよ」
『な、なぁんだ、やっぱり入江くんじゃないっ』
「うるせーな、用がないなら」
『ま、まって切らないで』
「なんだよ」
『えーと、用ならあるのよ、えーと……』
「まさか元気かどうかの確認じゃねぇだろうな」
『えっ』

 笑いをかみ殺して低い声で言うと、琴子は押し黙ってしまった。どうやら図星らしい。

「だからなんなんだよ、用ってのは」

 俺は受話器を耳に当てながらコートを脱ぎ、床に座って暖房をつける。生ぬるい温風を背に、俺はもう一度ためいきをこぼした。

「さっきも会っただろう」
『だ、だってぇ、バイト先じゃあんまり話せないし』
「だから用は」
『こ……声が聞きたくて』
「バカじゃねぇの」

 琴子の思うことなど手に取るようにわかる。こらえ切れずに漏れた笑い声をごまかすように言葉を履き捨てると、琴子はまただんまりをしはじめた。

「……用がそれだけなら切るから」
『えっ、ちょっと待って!あのあのね、えっとぉ』

 聞かなくてもわかる。琴子は今電話機の前に突っ立って、きょろきょろと斜め上を見ながら言葉を探しているのだろう。俺はこらえ切れなくなって受話器を口からずらして、少し笑った。

『な、なんで笑ってるのぉ』
「……笑ってないって、じゃ」
『ま、待ってってば!』
「なんだよ」

 相変わらず手数の少ないやつ。言いたいことを言わせれば、少しは落ち着くだろう。こいつも、俺も。

「……言えば」
『……好き、だからね』
「ふぅん」
 
 俺は今度こそ笑いをこらえ切れなくなって、吹き出しそうになるのを咳払いでごまかした。本当に、こいつのことは手に取るようにわかる。なにもかもが。

『おっ、おやすみっ』

 一方的に切られた受話器からは、無機質の機械音が聞こえてくる。俺は電話機を元に戻し、コートを手に立ち上がった。いつの間にか部屋は暖まっている。

 エネルギーを使ってしまったことに少々の後悔を感じながら冷蔵庫を開けると、そこには水と少しの果物しか認められなかった。そういえば、備蓄しているものなど何もなかったはずなのに、冷蔵庫を開ければ何かがあると反射的な行動に出てしまったらしい。一本の電話でこうも影響されるものなのか。

 俺はもう一度コートを羽織り外へと出た。家族やそれを取り巻く人々、そして琴子の存在は自分にとってどれほどの影響力をもたらすのだろう。先ほど吹いていた冷たい風が居心地のよい風に感じられるのに驚きながら、俺はコンビニへと向かった。


2010年3月18日脱稿/2010年4月up

どっちにとって飴と鞭だったのかという話

    

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