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059 : 空中分解

「入江くんのこと好きなの、もうやめるっ!離婚するっ」

 ドアを勢いよく閉めて、琴子は階段を駆け下りた。静まり返った廊下に、足音がダンダンと響く。

 琴子はそのまま、だれもいない居間を抜けて、冷蔵庫の戸を開けた。派手な音を立てて調味料が揺れる。牛乳の紙パックを手に取り、琴子は勢いよくそれを飲んだ。

 家はしんと静まり返り、ひと気のかけらもない。ただ、琴子の牛乳を飲み干す喉の音だけが響いていた。琴子は飲み終わると、開いていない牛乳パックを手に取り、少しだけ思案して、それを今度はそうっとテーブルの上に置いた。コーヒーの入ったボトルを開け、それを丁寧にコーヒーフィルターに流し込む。スイッチを入れると、やがてコポコポと水の沸騰する音が響いて、一杯分ほどの量がたまる。琴子はコーヒーメーカーのスイッチを切り、カップに流し込んだ。牛乳パックを開く。注ぎ込もうとしたとき、琴子は人の気配に顔を上げた。

「なんだよ」
「……きらいだもん」

 琴子は直樹に目を合わせず小さく言った。

「どうぞご勝手に」

 直樹はテーブルに置かれた新聞を手に取り、ソファに深く座った。鈍くきしむ音が居間に響いた。

「これ、もう買い替え時だな」
「……きらいだもん、きらいだもん」
「なんだよ、これ昨日のじゃねぇか」

 琴子は牛乳パックを持つ手を震わせて、直樹に相槌を打つように繰り返す。直樹は新聞を畳むと、琴子のいる台所に向かった。琴子の肩が小さくなり、手の震えが増す。直樹は琴子から牛乳パックを奪い取ると、テーブルの上に置いた。

「何本飲む気だ、お腹下すぞ」
「……きらいだもん」
「……そう」

 直樹はコーヒーカップを手に取ると、勢いよくそれを飲み干した。琴子が声を上げようとしたとき、直樹は琴子を壁に押さえつけて口づけた。

「俺、やっぱりブラックがいいなぁ」

 琴子の耳元で直樹がため息をついた。琴子は目に涙をためて、直樹の背中に手を回す。鼻をすすりながら直樹の肩に顔をうずめた。

「……あたしはカフェオレが好きだもん」
「ふーん、で?」
「やっぱ好きだもん……」

 琴子は直樹の背中に回した手に力を込める。直樹はためいきをついて、琴子の耳元にささやいた。

 


2010年3月4日脱稿/2010年4月up

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