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078 : 刻み付けて

 電車の中は雨で蒸され、窓にはじっとりと小さな水滴がついている。なぞると曇ったガラスの向こうに見慣れた夜景が見えた。

 入江家に住むようになったのは高校三年生の頃だ。迷いながら覚えた駅までの道のりは、入江くんの背中を見つめ続けた日々と重なる。背中を追いかけながら、追いつきたいと、対等でありたいと願った日々は消して穏やかとは言い難い日常だった。けれどもあたしを突き動かしていたのは、誰でもない入江くんその人だった。突き放されてもがいても、ぬかるんだ沼の底から引っ張りあげてくれたのは入江くん自身だった。時折くれる優しい言動は、しがみつけといわんばかりに甘くて、その度にあたしは再認識をするのだ。入江くんが好きだと。

 怒らせてなじりつけたあげくに、わめくあたしの口を封じるかのように重ねられた唇は少しかさついていて、けして甘いとは言えないものだった。あのときの入江くんの真意は、ただあたしをからかいたかっただけだと言わんばかりに冷たくて、やわらかさなど微塵も感じなかった。何年も前のことなのに、つい昨日のことのように思い出してしまうのは、たった一つの思い出にすがり付いていたいからだ。生涯に入江くん一人だと思い込んでしまいたいからだ。

 拒絶されて、厭味たらしく今後のあたしの身の振りかたなどに言及されても尚、あたしには入江くんしかいないと思えてくるから情けなくて仕方がない。結局のところ、あたしは「入江くん」しかいないのだ。あたしを好いてくれた人を傷つけてまで守りたいのは、結局のところ入江くんへの気持ちだった。

 結婚なんかしないでと、どうして言えるだろう。男女の出会い方には星の数ほどあれど、どのような思惑が取り巻いていたとしても、惹かれあった二人を引き裂く権利も資格もない。身を引くなんておこがましいことも言えない。あたしと入江くんは、まだなにも始まっていないのだから。

 電車が減速し、ゆっくりと扉が開く。プラットホームに降り立つと、この頃にしてはめずらしい不快な熱気に、うなじに髪の毛が張り付く。雨は嫌いだ。夜でもはっきりとわかる重い空は、心をも潰しにかかる。潰されても尚、心から押し出されない強い感情が、自分の中でくすぶっているのが分かる。ずっと抱えて生きていこうと思う。生涯、一人きりも悪くない。

 切符が自動改札機に吸い取られていった。雨はまた激しさを増したようだ。

 雨は嫌いだ。


 

2010年12月18日ブログ掲載/2011年3月12日up

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