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081 : スプリンクラー

 琴子は、両手いっぱいに大きな荷物を抱えて、足取り重く電車を降りた。買い物袋の取っ手が伸びきって手のひらに食い込み、手がぶす青く変色している。

「いったぁい……、重ぉい……」

 朝の通勤ラッシュの時を迎え、琴子はよたよたと乗降車する人の波に流され階段へと向かった。あと少しで手すりにしがみつけるところまできたとき、琴子は強い力で引き戻された。

「きゃっ!なによもう……!い、入江くん?」

 はずみで大声を出しその場にへたり込んだ琴子は、振り返り思っても見ない相手に更に大きな声を上げた。

「うるせーよ。なにやってんだ」

 直樹と琴子の周りを、迷惑そうな顔をしながら人々が通り過ぎていく。琴子は荷物を床に置いたままふらつきながら立ち上がった。

「いっ、入江くん、先に出たんじゃなかったの」
「今日は試験だから、マックで勉強してたんだよ。……お前たちがうるさいから」
「なっ……なによお、朝はしおらしいでしょっ」
「朝は、ってことはそれ以外のときはうるさい自覚があるんだな」
「むっ……」

 降車する人が段々と少なくなり、二人の声がプラットホームに響き渡る。

「お前こそ早いじゃん」

 直樹は腕時計をちらりと見て、それから琴子を見てためいきをついた。時刻はちょうど8時をさしている。

「朝からボロボロだな」
「だって、これはしょうがないんだもん……」

 琴子の声が小さくなる。直樹は琴子の抱えていた荷物の中身に手を伸ばした。

「心理学概論……?英文法概論、論文購読……なんだこれ」
「やだ、見ないでよぉっ!」

 琴子は直樹の手から分厚い紙の束をひったくると、よろめきなからまたそれを乱雑にしまいこんだ。袋から何枚もの紙が顔を出しそよそよと風に吹かれている。

「……過去問か」
「……そーよ!そーよ!二十年分の過去問、やっと手に入ったんだからぁっ!」
「二十年……」

 直樹は頭を抱えて立ち尽くした。電光掲示板に電車の到着を知らせる表示が光る。直樹はそれを確認してまたためいきをつくと、荷物の半分以上を抱えて琴子の背を押した。

「とりあえず、駅出るぞ」
「う、うん……ありがと」
「いいから早くしろよ」

 警告音を鳴らして、電車がホームへと進入してくる。突風が吹き、琴子の髪がふわりと浮いた。

「あっ、ああああっ!」

 琴子が手にした荷物の中から、先ほど雑にしまいこんだ紙が電車の風圧で宙を舞った。

「うわっ」

 直樹も空を見上げた。花びらのように紙が舞う。階段を駆け上がる人々も足を止め空を見上げていた。

「あっ……あたしの努力の結晶がぁ!」

 琴子は荷物を置き、空中を漂う紙を必死に集めはじめた。

「今日のあたしとじんことさとみの運命がかかってるのよぉっ!」
「……今日の試験の勉強を今からしたってムダだよ」
「そんなことないもん、持ち込み可なんだもん!」

 ホームは再び、乗降車する人で溢れかえっている。人の流れに逆行しながら、琴子は必死の形相で紙をかき集めては叫んだ。

「……結婚、早まったかな」

 直樹はまたためいきを一つこぼすと、荷物を隅に置き、琴子の「努力の結晶」を探しはじめた。

 

2010年3月9日脱稿/2010年4月up

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