つながり

一口、二口。

薬でも飲むようなしかめっつらで、琴子がカップを口へと運ぶ。

意味もなくスカートの端を引っ張ったり、スプーンを手に取りしばらく遠くを見たと思ったら、素っ頓狂な声を上げておふくろとはしゃぐ。

裕樹が、やれやれと目配せをする。おにいちゃんなんとかしてよ。バレンタインデーごときで、いつもいつも。バカ琴子ー。

「ほっとけ」と目で合図し、俺は自室へと向かった。

 

 

ベッドサイドの明かりを引くと、階段をどたばたと駆け上がる音が聞こえた。

「入江くんったら!」

ドアを後ろ手で閉め、琴子が胸に手を当てて上目で俺を見る。

「願い事なら他をあたってくれ」

「入江くんにしか頼めないのっ!…って、なんでお願い事があるって分かったの?」

「見てりゃわかるよ」

えへへと頭をかきながら、ベッドによじ登る。

「白?」

「やだっ」

抱き寄せると、腕をクロスにして胸を隠し体を捩じらせる。

動きを封じ込めたくて腕に力を込めると、琴子はほうっと息を吐き、体の左をぺたりとつけて丸くなった。

そのまま横抱きに膝に乗せると、両腕を首に回してくるから、俺は琴子の髪の毛に顔をうずめた。

嗅ぎ慣れない柑橘系の甘ったるい匂いが鼻をくすぐる。そういえば、昨日自慢げに「新商品なの」と話していた気がする。

「…入江くん、もうすぐバレンタインだね」

「そうだな」

耳に口をつけると、きゃっきゃと笑って腕を緩めた。

琴子の目が、また上目がちに俺を見る。

「早く言えよ」

「えー…えっと」

「聞くだけ聞いてやる」

俺が聞く耳を持たないとでも思っていたのか、面を食らった顔をして顔を上げた。

「ホント!?」

「…寝るか」

服の下に手を潜り込ませると、琴子は弾かれたように体を起こした。

「いっ…言います言います」

「あのね、バレンタインの日って、その、あたしすっかり忘れちゃってて」

「そりゃいいんじゃねーの。ありがたい」

要領を得ない会話と、少なからず拒絶されたことにじれ、頬に手をかけてなかば無理やり顔を近づけると、両手で胸を軽く押される。

ぷうと頬をふくらませて、キッと琴子が俺の目を睨んだ。

「そうじゃなくって!!…わかってるんでしょ、入江くんったら」

「…今更だろ」

「…だよね」

「祝う歳でもねぇだろ」

女はどうしてこうもイベントごとに拘るのか、理解しがたい。

毎年同じ日にやってくるクリスマス、バレンタイン、そして誕生日。

取り立てて変化が起こるわけでもなく、意識しなければ過ぎていく日常。

その節目節目に、我が家の女は必要以上にはしゃぐ。

「いくつだって関係ないのよっ。あたし、いつもおかあさまに、してもらうばっかりで…」

「で、落ち込んでんの」

「うん…」

どうしよう、搾り出すように一言つぶやくと、体を摺り寄せて、すんと鼻をすすった。

「あたし、おかあさま大好き」

「…それ言ってやればいいんじゃねぇの」

ぽんぽんと背中を手のひらでなだめると、琴子は顔を俺の胸にすりつけながら、かぶりを振った。

「それだけじゃ足りないくらい大好きなの」

「おふくろの喜ぶ事なら、一つ思い当たるけど」

「えっ!?何?」

琴子が、目を輝かせて顔を上げた。

先ほど潤んだ瞳のなごりが、目尻にこぼれている。

頬は俺の服にこすれたのか、赤らんでいて、睫毛についていた涙の粒が、その目の下にぽろりと零れ落ちた。

「子作り」

「やっ、何よもう〜!そうじゃなくって」

身体を力任せにかき抱いてベッドに押さえつけると、またもぷぅと膨れた頬に唇を落とした。

「それしかねぇだろ」

琴子は横を向いたまま。長い栗色の髪の毛が揺れる。

「…もういい!寝るっ」

「そうだな、寝るか」

首筋に唇を這わせると、いじわる、琴子のつぶやく声がした。

「今更」

俺は手を伸ばしてランプの明かりを消した。

続く

2008年10月29日

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