例年、バレンタイン前日である今日は、家中が慌しい。
おふくろと琴子は台所に立ち、次の日の晩飯の仕込みをする。
家中をチョコの甘ったるい匂いが漂い、時折琴子の叫び声とそれをなだめるおふくろの声が飛び交うのが恒例行事と化している。
おふくろは料理がとても好きだ。
今年は、明日の食事やチョコを全て琴子が作ると宣言したものだから、おふくろは嬉しいような困ったような顔をしていた。
せめて垂れ幕くらいは作らせて欲しいと言ったらしいが、琴子はそれもかたくなに拒んだらしい。
一週間ほど前までは、琴子は部屋で料理本とにらめっこをしていたが、最近では、ずっと携帯を弄っている。
画面をじっと見つめて、にやけたと思えば、携帯と顔をつき合わせて、真剣に見入ってもいる。
何かを企んでいるのは間違いないが、一人でやれと言った手前、聞くのも億劫だし巻き込まれるのは面倒だ。
風呂から上がると、鏡台の前、琴子が長い髪をブラッシングしていた。
毛先がひっかかるらしく、ぶつぶつと独り言を言いながら解く姿がいじらしく、自然と腕が琴子に巻きつく。
「入江くん、いいお湯だった?」
「あったまったよ」
手からブラシを奪い取り、そのまま琴子を横抱きにベッドへ運ぶ。
「あっ、明日のことなんだけど…、あたしすごいこと思いついちゃったのっ」
琴子が、言いながら枕に顔をうずめて、足をばたつかせている。
どんなトンデモ話なのかは、非常に興味深いところではあるが。
「…」
「聞きたい?」
くぐもった声で、琴子が続ける。
「なんだよっ」
尚もバタ足を続ける琴子の足を、自分の足を伸ばして制した。
「明日は、ごはんは作らないことにしたの」
「そりゃよかった」
むっとして顔を上げる琴子に、思わず笑うと、琴子は体を起こして、拳を握り締めた。
「…おとーさんに全部任せることにしたの!で〜、どうせなら、裕樹くんと入江くんのバレンタインも一緒にしちゃえと思って」
「しなくていいよ」
「えっ」
「なにも」
琴子の肩先が寒そうで、俺も体を起こして布団を引き上げた。
「ありがと」
肩に持たれる琴子が、ぽつりぽつりと話し出す。
「結婚式の時、みんなで写真とったけど、それっきりじゃない?だから、家族全員で写真館に行って、写真撮ってプレゼントしたいなぁって」
「…お前にしては」
「ん?」
「やるじゃん」
写真なんてものは、幼い頃から撮られるばかりで、あまりいい思い出が無い。
だが、自分の過去など振り返るのも虫唾が走ると思っていたのに、琴子の母親を写真で見たときに、自分のためではなく、未来の誰かの為に残しておくのも悪くは無いと思ったのも事実。
明日撮るであろう家族写真も、いい未来への財産になるのかもしれない。
「でしょ〜!? いつもおかあさんって撮る側だし、いい記念になるかなって、好美ちゃんも呼んで…」
「お前家族写真に…」
「どーせ家族になるんだからっ。堅いこと言わないのっ」
「…」
「明日は朝から好美ちゃん呼んで〜、おかあさんを目隠しして手足を縛って」
「は?」
「ここは絶対入江くんに協力してもらわなきゃいけないところなのっ。だから、お願いっ!あたしが飛び掛ったら目隠しするから、入江くんは手足を縛って!」
「…一歩間違えなくても警察来るだろうお前…」
おふくろの誕生日だからとむりやり取らされた有給の日に、お縄になるのはごめんだ。
俺はため息をつくと、ベッドサイドから本を取り出した。
「大丈夫よ〜、タオルで縛れば跡がつかないらしいわっ」
「…お前何から情報仕入れてるんだよ」
「ネットで…携帯でちょっと調べ物を」
「…」
ちょっと見て見て、と琴子が携帯を目の前に差し出してきた。
「"メイク☆ドリーム☆写真館"?」
画面には、ディズニーアニメに出てきそうな、ファンシーなドレスを着た女性が満面の笑みでたたずんでいる。
背景には、何体ものダビデ像…。
そして、後から加工したのか、いたずら書きの キラキラとした光が書かれている。
「写真館も、すごいいいところを見つけちゃったの!コスプレ衣装も豊富で〜お姫様みたいな格好も出来ちゃって」
「…おふくろへのプレゼントなんだろ?」
「で〜、皺とかも消してくれて、背景も合成してくれるんだって!あと、服そのものも合成できるみたい。観光地の写真パネルの豪華版っていう触れ込みらしいわっ」
「…」
俺は本を閉じると、近くに丸まっていたズボンのポケットを探った。
「寝タバコ厳禁よっ」
「…」
「とにかく、明日は忙しいから、早く寝よっ」
琴子は一気に捲し立てると、明かりを消した。
「…」
考えるのも面倒くさくなって、俺もまぶたを閉じた。
続く
2008年11月19日